blogってこういうこと書く場所でしょ?
「コミックよしもと」って結構楽屋においてあるんで読むんです。
そりゃ自分の会社が発行してる漫画雑誌です、何人かのスタッフか顔見知りだったりする。
売れて欲しいと心の中で心底思いますよ(笑)。
で、僕は読みながら毎回思っていたことがあるんですね。
日本でね、デビューできないで、でも毎日ネームを振り絞っている漫画家の卵みたいな奴っていっぱいいると思うんです。そんな人達がいっぱいいるってことを頭にいれて作るべきやと思うんです。
いや分かってるって言われるかもしれないですけど。
漫画って文化なんです、少なくとも日本では。
いや日本だけってことはないな、世界共通で。
そんでもって大衆の芸能なんです。エンターテイメントのひとつなんです。
それで人生変えられた奴、たくさんいるんです。
俺らだってそうですよね。例えばテレビでポッと出のアイドルやミュージシャンとかに「お笑い」とはとか語られたら嫌じゃないですか?
僕は違う芸能や文化には絶対に敬虔な気持ちで立ち向かわないと駄目だと思うんです。
芸人=面白い、だから漫画も作る、だから面白いとはならんのです、絶対に。
逆に、だからこそ、厳しい目での審美眼が必要だと思うのです。
音楽もそうだと思うんです。
芸人さんが音源を出すこともありますよね。
底辺にミュージシャンに対する尊敬や、同時に畏敬をもってないと駄目だと思うんです。
それが”愛”ってもんだと思うんです。
愛を込めれば、僕は大衆には届くと思います。
それと似たようなことがありました。
映画版「シンプソンズ」の声優人総入れ替えです。
日本の理想の家庭像ということで、和田アキ子さんや所ジョージさんやロンドブーツのあつしさんやベッキーなんかが声優をつとめるとのことです。
しかし、ご存知のとおり、「シンプソンズ」はテレビシリーズの形の声優さんでファンには御馴染みです。
思い入れのあるファンも多いでしょ。
そんな作品のです、映画版というだけで、主要な声優陣を総とっかえしたんですね。
これって長年この「シンプソンズ」を楽しみで観続けた人ってどう思たんでしょ?
そこには作品に対する愛がないような気もするんです。
僕はアッ子さんも所さんも、そしてもちろんあつしさんもベッキーなんか
も大好きだしタレントとしてお世辞抜きでその才能に尊敬を抱いています。
自分なんて足元にも及ばないだろうなって思います。
あつしさんなんてお笑い芸人として、そして男としても尊敬してます。
でも、だからと言ってテレビ版で違和感なく届けていた声を変えてもいいかって言ったらちょっと大きく反対なのです。
これはいったい誰が得をして、誰が楽しいんでしょうか?
僕は芸人さんが声優をするのが嫌だというわけではないです。
むしろ芸人さんには未経験であろうといろんなジャンルの素材としての芸のスキルの高さを感じています。
だからこそ、芸人さんにとっても得になるキャスティングや配役が大事だと思うのです。
全体の世界観を壊してまでやることではないと思うのです。
そこには「愛」だけがかけていると思うのです。
「シンプソンズ」は配給会社や制作した会社だけのものではないのです。
何度も言いますが、アニメや漫画は文化やと思ってます。
有名人ではなく職人がしっかりと演じる凄さのほうが、確かに話題性に欠けるかもしれませんが作品としてのクオリティが守られるときがあります。
それはその作品にとって長い目で見たら絶対にプラスだと思います。
もちろん声優さんが豪華だったり、話題性があるっていうので、注目度があがるということも大事だし、決して悪いことではないと思います。
もしかしたらこれだってめちゃくちゃハマっている可能性がありますし・・・・
だから別に僕が正しいわけじゃない。
タレントがやることハマることもたくさんあると思います。
一概には言えないのですが、ちょっと気になっちゃったんで、
みんなにも考えて欲しくて、こういう記事を掲載してみました。
吉本って僕大好きな会社です。
劇場、面白いです。
生のライブ最高好きです。
いろんなことやらせてくれます。
社員もみんないい人が多いです。
これからいろんなソフトを作ることになると思うんですが、やっぱり異ジャンルって凄い難しいことやと思うんです。
でもそんなときこそ、相手を尊敬してみたらきっともっといいもんができるのになぁって
ぼんやり思ってしまったりしてしまいます。
まぁ、俺ごときが何が分かるんだよ、って言われたらそれまでなんですが(笑)。
でも加藤さんが声優し、鈴木おさむさんが監修した「リトルレッド」はめちゃくちゃよかったですよ・・・と笑う大谷先生に声優の仕事が来ますようにと励ましのお便りを・・・・




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