僕の生まれ育った大分県佐伯市、そこに城山という山がある。
城下町の町並みの残る情緒あふるる景色がこの上からなら一望できる。文豪国木田独歩もこの佐伯の城山を愛したそうだ。
その城山で撮った写真がある。
母と俺と弟。
母の左手を俺が握り、右手を弟が握り。
なんとも楽しそうに城山を駆け上る写真。
写したのは母の妹。
母の妹に聞いたことがある。
この写真の前日、母は一家心中をはかったのだ。
母の妹がそれを直前でとめたと。
遺書があって、生活に困窮した母は行き詰まりを感じ、
「死」を選ぼうとしたのだと。
ただ母が目を離したすきに俺が唐辛子を栽培する畑に忍び込み、生の唐辛子が生で食える食いものだと思い込み、一心不乱に食っていたのを発見した。農家の方は大激怒し、僕は何個か気が狂ったように食い、そして辛さに気づいて頭がおかしくなるくらい泣いたそうだ。
そこに母の妹が僕ら家族を発見して、僕らはまだ生きれることとなった。
その次の日、頭を下げ、親戚からいただいた米でおにぎりを作って城山にやってきたのだ。
連れていきたくてもお金がかかるところには連れていけない、城山はそんな僕らにとって最高のアミューズメントパークだったのだろうか。
残念ながら僕はそんときどんな気持ちだったかは覚えてない。
ただ写真の中の俺は今同様無駄にへらへら笑ってる。
おにぎりをほおばる顔なんてくしゃくしゃしてて、ちょっとかわいいなぁ
なんて自画自賛したりして。
その写真の母は顔を下にむけている。
僕ら大谷家は確実に昭和という時代、貧しかった。
先日、上野動物園にいった。
嫁と子どもと後輩と。
嫁はこういうとき手をつなぎたがる。
俺は気恥ずかしくていつもその手をほどく。
いつもいつもくすぐったい気持ちになる。
子どもが歩きたがる。
やっと歩けるようになってきたのだ。
子どもの左手を俺が握る、子どもの右手を妻が握って、一歩ずつ一歩ずつ歩く。
毎日毎日歩く距離が更新される。
「成長」してるのだ。
動物園に来るといつも不思議な気持ちになる。
この動物たちは望んでこの檻に入ってるわけじゃない。
自分の野生を失わされた代わりに餌を与えられる。
でも作り手は動物に愛情を注いでないか?
否。
これほどまでに動物をかわいいと思う、愛情を注ぐ人もいないのだろう。
じゃぁ見世物をやめろというものもいるだろう。
下品だとののしる人もいるだろう。
本当に動物を愛してるなら、見世物にするなという人もいるだろう。
じゃぁ世界中のみんなは動物をどうやって知ればいいんだろうか?じゃあ檻に入った動物は生贄なのか?
食いものになっちまう動物と洋服になっちまう動物もいる。
人間は何かを殺して、何かの犠牲の上に「生きている」んだということ、それは植物も同じだ。
動物や赤ん坊をかわいいと俺等が思えるのは、動物や赤ん坊に
防衛本能の一貫として相手がかわいいと思えるようなものが備わっているからだそうだ。
必死だ。
「生きる」ってそれぐらいの必死な本能が必要なんだ。
”かわいい”っていう感情に支配されて、死ななくてすんだ生き物だっているだろう。
話は変わるが20歳のころ、やたらと「かわいい」を連発する女が嫌いだったなぁ。
でもあぁいう女達はそういうことを口にすることで人間として成長しようとしたのかもよ。
愛ってなんだろうっていう叫びなのかもよ、ねぇ?
えっ?ポーズ?
どうかな女って凄い生き物だから、分からなくなるんだ。
いろんな思いがある。
いろんな価値感がある。
文化や宗教や戦争。
世界中にはいろんな人やいろんな生き物がいて、そこにはいろんな思惑があって、僕らは全てをうけいれなくてもいいし、ちょっとでも寄り添うことができるかもしれない。
そんな感情、いろんな気持ちをどうやったら子どもに伝えられるかな。
本当は「優しい」ってどんなことなのか教えたいだけなんだけどね。
動物園に行くといつもいつもいろんなことを思ってしまう。
先日、構成作家の佐久間トーボと「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を観にいきました。
この映画の悪口を書こうと思ったらいくらでも書けるだろう。
(SPA!の福田さんと坪内さんの対談で昭和の気分にひたりたいなら広島市民球場に行けっていうのは笑ったなぁ)
演出が大変説明臭い、ほとんど悪人がでてない、昭和34年の東京の暮らしが正確には描けてない、わざとらしいほどの台詞まわし、人間の裏の面が描けてない・・・・そんなものはいくらでもある。
吉岡秀隆さん演じる茶川さんの同窓会で、自分の悪口を言う同窓生を目撃する演出なんかは、ちょっと普通の映画監督なら出来ない位幼稚でスピードだけがある。
だけども僕はこの物語に笑い、号泣し、最終的に大きな拍手を送った。
心の底から感動した。
ずっと今年のナンバーワン映画は「デスプルーフ」であったが、これが僕の今のところ一位だ。
順位つけたところでね。ただひねくれてるだけなのかも。
同じように比べるのもねぇ。なんて思うが、やっぱりこれが一位だ。
勇気あるねぇ俺、この発言。
そもそもそんな指摘だけしてたいやつは見なくてもいい映画だとも思う。
この映画はもっとレベルが高いと思うからだ。
僕は「ニューシネマパラダイス」が好きじゃない。
あの映画好きの良心と呼べるあの作品がずっと苦手だ。
”泣けばいいじゃん!”っていう作り手のしたり顔が見えるようで苦手だ。
ラストシーンでガッツポーズしてるんじゃないの?って思ってしまう。
人はもっと間抜けだと思うからだ。
だから泣かそう泣かそうな映画が苦手だ。
「続・三丁目の夕日」まさにそういう映画だと思ってる奴がいるだろう。
「ALWAYS 続・三丁目の夕日」はどこか違うのか。
演出のスピードをあげながら、エピソードを積み重ねていく、その視点がひたすらぶれていない。
教訓がたくさんありそうな感じだがこれは一つだけだ。
むしろちょっと狂気的なもんでもある。
実はこの映画に関するコラムは次号の「マンスリーよしもと」でも書いている。
昭和に対して皆が皆ノスタルジックになっていること、小林信彦氏曰くの、今の日本人が人情喜劇に飢えてるという指摘も正しいと思う。
僕らはきっと昭和にある「貧しさ」から出来上がる「物語」に飢えてる。
”金では買えないものがある”(80年代では絶対に口にだせなかった言葉)そんな教訓。
俺等が子どものころにはあった言葉、今の子にはピンと来ないのかもしれない。
アイコンとしてホリエモンがいて、彼を尊敬する若者がたくさんいて公言していたとき、(老害に対する反動もあったが、つうかそれがほとんどだったんだろうが)、僕はホリエモンが好きじゃなかった。
正確にはホリエモンが好きだっていう自分が好きじゃなかっただけなんだけど。
でもきっといい人だったろうなぁって今は思う。
同世代だし、グルメだし、なんか話もあいそうだし。
っていうか会ってもないのに、こうやっていろいろ言われたらかわいそうだよね。
俺は思う。
清貧とはただただ美しいものだけではなく、たくましさを抱えた人間が本来もってる生命力の象徴ではないかと。
ずっと人間とはいつでも狂気に走れるという形でしか、人間の生命力は表現されてなかったような気がする。
人間は誰でも狂気に走れる、そんなもん散々分かった上で言いたい。
人間は誰でも優しくなれる。
僕はこの映画を落語の「文七元結」と同じく、ただの人情喜劇ととらえるより、「生」の圧倒的な肯定ととらえた。
映画のラストシーン。
そこには大きな高速道路がたってしまい、そこから美しい夕日が見れなくなる日本橋のシーン。
古きよきノスタルジックな郷愁ではなく、むしろたくましい人間の生命力を感じる。
「生きる」というものの肯定を感じる。
僕が大学生のころ通い続けたストリップ劇場、後楽園ホール。
ストリッパーの気持ちにもボクサーの気持ちにもなれないし分からないが、僕は一生この仕事に尊敬を感じ、勝手に「物語」を見つけて、シンパシーを感じる。
東京で生きていくということは、そういうことなんだとそん時は勝手に思った。
生きる、生きるんだよ。
絶対に。
人間は誰かを殺してしまう生き物だ。
明日から殺人がゼロになったりは絶対ない。
誰でも明日誰かを殺してしまったり、自分自身を殺してしまうこともあるだろう。
でも、どうしようもないことだと分かっていても分かってもらいたくて、何かを伝えたくて、何かを感じてもらいたくて、何かを垂れ流すような表現したり、生き様を提示したりする。
「芸人」として、いや表現をしてるものなら大粒の涙を流してしまうクライマックスシーン。
堤真一氏扮する鈴木モータス(この家族最高)の主人の言葉。
この言葉にいくまでの物語の紡ぎ方として、この映画の映像(すご
いCGだ)や演出があったなら、これはドラマを誠実に見せたかった、そして陳腐だと笑われても「お金で買えないものがある」ということを伝えたいだけの映画だったのだろう。
凄いじゃないか。
それって凄いじゃないか。
その昔、想像することで世界中の争いはなくなると笑われた男がいた。
でも僕は思う、結局想像することだけなんだと。
相手を知ること、知ろうとすることだけが世界を救う。
原爆を落としたアメリカ兵は、自分が原子爆弾を落とすその下に、同じアメリカに住んでいるような人間、子どもたちがいるって想像できなかったのかと思う。それは9.11でビルにつこんだテロリストも、アジアで暴力に狂い強奪を繰り返した日本人もヒトラーやスターリンも、そしてアホのブッシュも。
想像しなかったんだ。
鈍感にしたんだ。
思考を停止したんだと思う。
本当は肌の色が違おうが、文化が違おうが、食ってるもんが違おうが、俺等はみんな同じ「体温」の人間のはずなのに。
映画の最後、BUMP OF CHICKENの曲が最高だ。
本当に凄い。
モノを作るというのはこういうことだ。
とてつもなく感動した。
藤原君の作る歌は全部が全部一対一だ。
それが物語りを紡ぐときもあるけど、対象は一人だ。
それをみんなが共有するんだ。
僕の知り合いの芸人で大変女遊びをするやつがいる。
僕も負けじとやっていたから分かるがこれがひどい。
でも彼はBUMPが大好きだ。
BUMPの一対一の関係性の歌が好きだ。
それは別に女にもてたいから利用してるんじゃなくて、本質が好きなんだけなんだ。
みんな会いたい人がいる。
会いたい人がいるなら待っててくれる人がいる。
エルトンジョンが言う、誰もが「理想の相手(THE ONE)」を探してる、だから僕のラブソングはONE=一人に向かってしか歌われないんだと。
君は相手に何を求める?
容姿?
おしゃれなセンスが必要か?
お金?
シモネタを言わない?
タバコを吸わない?
条件はなんだっていい、自分の愛した人を愛するってのは、その人以外のみんなも同じ「体温」をもった生き物なんだって知ることなんだと思う。
いまだにカレーライスを俺が好きなのは。
くるりに言われるまでもなく(「カレーの歌」っていう曲があるんだ)、エンケンさんに言われるまでもなく(「カレーライス」という曲があるのです)、カレーの匂いが優しいから。
カレーを作ってくれる人が今までみんな優しくて、みんな僕のことを待っていたから。
いや、それだけっていったらカレーがかわいそうだな。
ただただうまいからです(笑)。カレーがうまいからです(笑)。
家に帰ろう。
俺が選んだ家だ。
BUMP OF CHICKENの「花の名」の中の歌詞。
”歌”を”お笑いにしてくれたらちょっとだけ伝わるかな。
いや、それはちょっとかっこよすぎるな。
すぐかっこつけるな俺は。
”生きる力を借りたから
生きている内に返さなきゃ”
「花の名」
動物園に行った日、家族でモスバーガーに行ってみた。
俺はモス大好きだ。
独身時代からよく食ってる。
ただ家族で行くファーストフードは初めてだ。
加藤浩次さんに憧れていた、僕が頼むのは加藤さんと同じ
モスフィッシュバーガーとクラムチャウダー。
先輩に加藤さんがいつもそれを頼んでいるって聞いてから、それば
か頼んでいる。
子どものビバ彦が目を離した隙にポテトを食いやがった。
うまそうに食う。
おいおいおい!!!ファーストフードはまだ食わせたくないのにぃ・・・・
その瞬間、にた~っと笑うビバ彦。
芋好きは俺の遺伝だ。
この顔、どこかで観たことがある!!
あっ!!
城山でおにぎりをほおばった俺にそっくりだ。
その顔はたまらなくかわいくて、俺は不思議な気持ちになる。
まるであのとき毛嫌いしてた「かわいい」を連発してた女のようだ。
母は城山にいき、水商売の世界に飛び込む。
そんでもって30年以上、僕も母も弟もまだ生きてる。
最近、また母親に僕の顔が似てきた。
俺のインチキ臭い笑顔はスナックで母が身につけたもののたまものだ(笑)
「三丁目の夕日」で家族は手を繋ぎながらラストシーンをむかえる。お互いの体温を感じるために僕らは手を繋ぐのだろう。城山をのぼるとき、母ちゃんもそう思ったのかな?
それは分からねぇ。本人じゃなぇからねぇ。
こんな人生を選んだ。
自分自身が選んだ。
ただカレーは太るけどね。ギャフン。
三木聡監督「転々」も最高でしたよ!と相変わらずカレーとさつまいもばっかり食ってる大谷先生に励ましのお便りを・・・
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