2008/03/14
追悼
「追悼上田現」
”小さな昆虫 片手で潰した・・・”スピーカーから流れてくる歌に14歳の俺は気色悪いなと思った。
中学2年生のときに一時的にノイローゼになった。病院に連れられたり、最後は霊媒師に観てもらったりした。
学校で何かやらないといけないと思いこみ、女性用タンポンを買ってきて水に浸して天井に張っていった。
教師に叱られて、ボクは腹いせに習字の墨汁で教室の隅々を塗ってみた。
気絶するんじゃないかってくらい教師に殴られた。
病院や学校でみんな病気なんだと言う声が聞こえる。
ボク、病気じゃないのにと思いながら母に言うと、母は毅然と病気じゃないよと言う。
毎日気が狂うくらい足が痛くなる。ボクは3歳のころ車にはねられた。外傷はなかったが、季節の変わり目や過剰に運動した日、豪雨の前触れのとき、ズキズキと足が痛くなる。
足を切り落としたくてずっと壁にぶつけていた。
母はスナックの仕事を終えたら、夜中ずっと足を擦ってくれた。
不思議な季節だった。
母親も毎夜うめき声をだしたりした叫んでいる僕は恐怖の対象でしかなかったのだと思う。
中学3年生、劇的なことが起きた。
現在は相方になった学校一のカリスマ肥満児大地と席が前後になった。大地はなぜか俺に話しかけた。
なんで話しかけたんだろう。
弁当を便所で食っていた俺の生活は激変した。
大好きなコサキンのラジオの話をしながらゲラゲラ笑う毎日に。
そんなとき大地から家に泊まりに来ないか というお誘いをいただいた。
母は興奮し、着替えを5着用意し、ボードゲームを4つ買ってきて持たせてくれた。
ボクら家族はちょっとだけ過剰な、少しだけイタイ存在だった。
夜中、大地がとんでもないものを教えてくれた。
パンクロック、ロックミュージック。
塩化ビニールのレコードの溝に針が落ち、大音量でエレキギターのアルペジオのイントロが響く。
初めてセックスをしたとき景色が変わるなら、初めてロックミュージックを聴いたときは宇宙が変わるもんだ。
衝撃だった。
体内に有り余っていたエネルギーが沸騰した。
ラフィンノーズ、レピッシュ、まだファンクバンドだった米米クラブ、でもってセックスピストルズやクラッシュ。
特にトーキングヘッズよろしくニューウェーブでポストパンクなサウンドからさらにメンバーの多岐に渡る音楽的な引き出しで結果的に世界最速のミクスチャーバンドであったレピッシュの歌の世界に例えようもなく興奮した。( フィッシュボーンとは同時期だったと思うが、あぁいう形態が同時に発生するから音楽は妙だな)
「美味しんぼ」の京極社長風に言うなら「なんちゅうもん聞かせてくれたんや大地はん」とポロポロ泣き崩れてしまうところだ。
警戒なスカ、アフロビート、そんな曲が続く途中、ノイローゼにかかった男が虫を殺す描写から始まる不思議な曲が流れた。
作詞作曲は上田現。
なんだこれ!?気色悪い!と最初は思った。不快な感じがした。ノイローゼの男の独白のあと、最後はピアノの連打に合わせてララララと軽快なメロディで締める。ノイローゼの男が独り踊っている絵が浮かぶ。
変な歌だと思った。
しかしどんどんそのカフカ的な安倍公房的な世界に砂の女よろしく引きずり込まれていく自分もいる。
その歌の歌詞の最後、
”ボク病気じゃない キミも病気じゃない みんな同じだから 健康体さ”
自分の家の部屋に帰って、ダビングしてもらったアクシアのテープを再生して何度も聴いた。
まぁボクは泣いた。
ボロボロ泣いた。
優しいなと泣いた。
なんてオリジナルで優しいんだと。世界はまだ知らないだけで優しい表現があるんだと。それがお笑いとロックやパンクのミュージックなんだと。
上田現が死んだ。
肺ガンで死んだ。
嘘みたいだ。
今でも信じたくない。
でもボクの部屋ではまだレピッシュが鳴ってる。一生聴くつも りだ。
ちなみに14歳のころ狂人といわれたボクが涙したこの曲のタイトルは「LOVE SONG」という。愛してるも恋しいもせつないもない、でも優しい、とても優しいキチガイ扱いされた人の愛の歌だ。
上田現、享年47歳、2008年3月9日永眠
合掌。



