人生漫才
「なんでかぶせないんだよ・・・」
2000年、尊敬する放送作家の石原健次さんが稽古場でテレビを観ながらつぶやく。俺は唇を思わず噛んだ。
画面の中には深夜番組のエンディング、相手を褒めあうというコンビネーションで笑いをとりまくるおぎやはぎと、ギクシャクと相方の欠点をなじることで笑いを獲ろうとする俺とニヤニヤと笑う相棒がいた。
8年前、俺は28歳になったばかりだった。
「新しい波8」。通称「なみはち」。お笑いは8年周期でスターが生まれるというコンセプトの下、第二の「めちゃイケ」メンバーを誕生させるべくフジテレビが作り上げる深夜コント番組だった。
遡ること8年前、1992年。フジテレビの深夜に同じスタイルで放送された「新しい波」。そこで精鋭され、そこからユニットを組んだのがナインティナインさん、よゐこさん、極楽とんぼさん、オアシズさんら。
(後で聞いた話だが石原さんが組んでおられたインパクトさんも番組に登場し、かなりの完成度の高い内容のコントをやられたそうだが、最終的なメンバーに残れなかったそうだ。テレビにおけるキャラの大事さを痛感したと、いつか遠い目をしながら語っておられた石原さんの顔が忘れられない。
そう、いつか俺はこの最後のメンバーに残れなかった方々と自分の物語をここで書くことになると思う。
その中心人物はもうこの世にいない村田渚さんという、最後まで芸人でいることにこだわり、死んでいった俺の大好きな人の話になるであろう。それはまた後日の話だ。)
そこからのメンバーの皆さんの活躍はここで記すものでもない。
劇場でひたすら遠くから加藤浩次を眺めながら俺はひたすら憧れた。
そして加藤さんがひたすら楽屋で山本さんにおっしゃっていた言葉
「お前もっと食えよ」を自らの相棒にむかって真似し実行するようになるのだが、それもまた別の機会に。
素人時代、憧れ続けた「新しい波」の続編に出演できることになった。
嬉しかった。しかも劇場でライバル扱いされいた品川庄司が、同番組に出演後、業界内で注目度が高まっていた。俺らは焦っていた。なんとかして出たいと思っていたところ、年齢がネックになると言われた。
品川庄司の品川も同じ年だが、庄司が若かったため特例として出演が決まった。
そうこの番組のスタイルは次世代のスターの発掘なのだ。
俺と奥井さんという吉本の社員が一緒に小さなライブハウスで立ち上げた「大☆大☆ダイノジ」。それは奥井さんの説得からだった。
偉そうにコントし、偉そうにやたらと強気で語る俺に、このままでは駄目になるとライブをやっていくことを提案してくれたのが奥井さんだ。
そこにはプライドを一切排除したものをやりましょうとのことだった。
そして優秀な後輩とライブをやることで刺激をうけてくださいとのことだった。
タイトルにすぐかっこつけたがる名前を冠したがる俺を危惧した奥井さんは、
ライブの名前を「大☆大☆ダイノジ」とつけさせてくれた。いい後輩。俺はすぐさまネタの中で凄まじいものを感じた2組の名前と一番可愛がっていた後輩の名前をだした。
ロバートとインパルス、そしてコンビを解散したばかりだった綾部祐二(現・ピース)。
これに奥井さんが絶対に将来モノになるから、いろいろ教えてやってほしいということで預けてきたデブの若手が三瓶。そんときちょうどデブでいじられて始めた大地さんの嫉妬と言ったら最高に面白かった。
(それとこのライブの一回目のアドリブラップっていうコーナーでビデオの撮影手伝いをしに来たのが今の平成ノブシコブシの吉村君らしい。この間本人が言ってた。)
俺ら以外は今や結構みんな成功した芸人になったと思う。
自分のことはさておいて、意外に将来性を見る審美眼は結構なレベルだったのかもしれない。
その中でもロバートはその「新しい波8」の初期、とんでもないはまり方をしていた。秋山のキャラクターの憑依っぷりが番組内でも全面的にフィーチャーされていて、若手芸人の中でも噂になっていたのだ。
だから余計に焦った。
そして俺は夏の特別編ということで、年齢のいった芸人2組を紹介するというイレギュラーな形で「遅れてきた波」としておぎやはぎと一緒に出演となったのだ。
波は1,2週間毎日フジテレビに泊まって稽古する。今思えばどれだけ頑張れるかとかも観ていたんだと思う。自信家の俺は練習もせずお台場周辺をブラブラ歩き回ったりしていた。
そして収録当日、コントの出鼻。
ラップ調に変えられた台詞回しに苦労する大地が台詞を言えずかみまくるという自体になった。
ネタは「モテル同好会」、当時の俺らが一番自信をもってやっていた勝負ネタだ。
今は「はねるのトびら」の演出をなさっている近藤ディレクターが衝撃をうけたと言ってくれたネタだ。
とんがることというより、若さゆえの余裕の無さの裏返しで調子にのり、礼節にかけ、相手を思いやることをしなかった俺は、この相方の失態に対し、袖で壁を蹴りながらいらだった。
その後、ステージに出てから俺らの息はまったく合わなかった。完敗だった。
袖で俺は相棒をなじることで必死にこの失態における失われたプライドの修復に一生懸命だった。
「モテル同好会」はオンエアーでは結局カットされた。
オンエアーされたのは「BGM」という、控え用に収録したコントだった。
おぎやはぎはいつも通りの世界観を淡々とやり、しっかり笑いをとっていた。
「カナディアンボルケーノ」。
なみはちでもうメジャー路線にいくことになった品川庄司が、そのちょっと手前、石原さんが書き演出をしたお芝居のような舞台「ピカレスク」。そこで笑いの獲り方を出演者のみんなが覚えていったのは誰が見ても明らかだった。吉本の奥井さんは俺らダイノジにもこういう舞台をやらせたいと思ってくれたのだろうか。石原さんにオファーしこのめちゃくちゃ面白い戯曲を書き下ろしてもらった(マジで最高に面白いんですよ!!!またやりたいなぁ・・・)。
俺らはスペースゼロでの公演を控えて毎日泊まり稽古励んでいた。そんな稽古の合間にオンエアーされたのが俺らが出た「遅れてきた波」だった。
笑いに誠実で、いつも俺らにいろんな笑いの獲り方を教えてくれる(いや僕はずっとこの人の真似をしてるだけなのですが)石原さんが、俺らのコントでは厳しい顔をしている。
次にオンエアーされたおぎやはぎさんのコントでニヤニヤと笑い、エンディングで冒頭の言葉を吐いた。
ボクはなんで近藤さんは「モテル同好会」をオンエアーしてくれなかったんだろうと思っていた。
いや思うことで、俺はこんなもんじゃないんですとプライドをつなぎ合わせたかっただけだったんだろうと思う。
結局、この後に放送された未公開スペシャルでオンエアーされたコントの一部には「モテル同好会」はなく、おぎやはぎが披露したもう一本のコントは放送された。
そう僕らダイノジはおぎやはぎに完敗し、番組の中でも結果が出せなかった若手として失格者の烙印をおされたのだった。
(ちなみにこの「カナディアンボルケーノ」で石原さんの側で作家見習いとして雑用をやっていたのが大井洋一。そう俺がもっとも信用する作家であり、笑いを語る上での最高の友達であり、今や「はねるのトびら」の放送作家として多忙な日々をおくるのはまた後での話し。そして手直しとして呼ばれた演出補佐のような立場の方がいた。その人はメガネを触りながら斬新な発想で石原さんの世界をふくらましていく。同世代にとんでもない才能をもった奴がいるなぁって思ったものだ。オークラという方。今ではバナナマンさんやおぎやはぎさんのライブやテレビ・ラジオ番組の構成をてがける寵児。まぁそれもちょっと後の話)。
チャンス。
簡単にするりと逃げた。
おぎやはぎのやり取りにお腹を抱えながら笑うSMAPの香取さんを観ながら俺はまた唇を激しく噛んだ。
前置きが長くなってしまった。
6月25日、今までもらった給料で最高の額をもらったこの日(やらしいな俺!なんかたまたまたまってたみたいでねぇ・・・嫁ウハウハ!母ちゃん仕送り待ってろやー)
キングコングの西野亮廣君とトークライブをやらせてもらった。
お台場、そうフジテレビの近くにあるZEPP TOKYOの真上にあるTOKYO CULTURE CULTUREという場所でやらせてもらった濃密なおしゃべりライブ。
満員のお客さんを前にやたらと熱い話、交互に繰り出す鉄板のトークネタ、最後は西野のお世辞にもうまいとは言えないが、びんびんの心に突き刺さった歌で締めた、本当に楽しい2時間半だった。
キングコング。
そう先ほど書き続けた「新しい波8」の放送で、それまでコントであることが絶対であったはずの番組で漫才だけでネタをやり、その若さと華と脅威のテンポをもった喋くりで圧倒し、最終メンバーの集まりをリーダーとして束ねた、最初から今までずっとスターだった、お笑い界に若くして現れた大型コンビだ。
と、こんな風に書いてるが、実際はまぁ違うわね。
悩み、壁にぶつかり、紆余曲折しながら、そして今も現状に満足せず、モノを作り続けている真っ当な芸人。ちょっと売れてるけど。
まぁ詳しくはボクの次にいたい文章といわれてるらしい「西野公論」という面白Blogで是非。
笑いにとりつかれ、ちゃんと真剣に悩み、苦悩し、それをさらけだすことを決断した、とっても面白い自意識の爆弾にコーティングされた文章です。
マグマのように熱くて本当いいと思う。
彼を揶揄する人もいる。成功しか知らない若造と言うやつもいるでしょ。影響力のある男だ。挑発的な物言いもするでしょうし、鼻につくんでしょう。
そんなことは本人も分かっている。
それを受け入れて、それでもどうしようもなくお笑いや漫才やモノを作ることや、もっと言ってしまうと「自分自身の人生」をちゃんと自分で生きている人間のどこが悪いんだろうか。
嫌いはいい。ただそんなことを主張していくだけで、自分の人生を生きてないないほうがちっとも面白くねぇ。そんな人生語られねぇ。
俺はそれが全て面白いことだなぁっと思う。
彼の半径何メートルで起こっている出来事や、その時間軸を自分の人生の何かに照らし合わせていくのが面白くてたまらないのだ。
彼自身が引き受けなきゃいけないと思いつつ、それに一つ一つムキになるのが楽しい。そんな愚かしいような若さ、憤怒、気概、
あんたにある?
西野を面白がるのは、そのエネルギーを面白がるってことでしょ?
それがその人にとって芸人の定義と違うならそれでいいと思うしほっとけばいいんだと思う。外野から何か言うことが彼の魅力になっているだけだから。まぁ気になってしょうがないということなのだ。
2007年、M-1で間違いなく感動的な流れを作ってしまったのがトータルテンボスとキングコングであろう。その話はたっぷり今回ライブでやらせてもらった。
飲み屋のじじぃの戯言なんですけどね。
ボクは松本亀吉さんの文章大好きだけど、去年のM-1のことで書いた「クイックジャパン」のキングコングへのバッシングの記事は最低だったと思う。あれはボクがお笑いのことで書かれた記事でもっとも最低のものだったかもしれない。本当に?って思った。そこかよ矛先は?って思った。
「クイックジャパン」がお笑いのことを多方面からいろんな角度から書くのは素晴らしいと思うし、一読者としても毎回楽しみにしてるのに。あの凡庸な視点。サブカル的な論点で語られるのではなく、キャリア10年以内の芸人の「物語」としての側面で語られるべきが今のM-1でしょ?
だとしたら今回、今のポジションで挑戦してきたキングコングにとって、この決勝進出がメリットよりデメリットの方が多いのなんて一目瞭然じゃないか。なぜその面倒くさいことやる奴の気概を笑い飛ばさないんだ。笑いのスタイルの問題なんてこれだけたくさんの芸人が毎日メディアで違うスタイルを披露しているなら、もはや受けての自由な感性で選択してもらえばいいわけで、そんなことを語っても堂々巡りなだけじゃないか。
どうせどんな芸人だって最後には「物語」を楽しむようになってるじゃないか。
全体を語って欲しかったのだ。シーンとしての面白さを語って欲しかったのだ。
お笑いを作ってない奴がお笑いのロジックを語ることの退屈さよ。
そうではなく、あそこに確実に落ち渦巻いていた現象の面白さのほうがとにかく語られるべきであろうよ。
その後、ワイドショーでひたすら放送された「サンドウィッチマンの素顔」(あれはあれでグッときたけど)なんかよりね。
だとしたら、キングコングこそ主犯じゃないか。
あの年末のお祭りの、誰もが勝手に経過や一瞬のカタルシスに熱くなるんだ、「祭り」でしょ。
笑い飯という天才が優勝するためのキーでしょ。
上手なプロレスが観たいと思うのです。
青山テルマの特集も最高ですが、だったら「物語」としてのキングコングをやるべきなのだ。なんかいきなり変なテンションで怒ってしまって申し訳ない感じなんですが、本当心底そう思う(つうか亀吉さんも本音はそこが書きたかったんじゃくて、ちゃんと言いたいことあったんじゃないの?って思ってるんですが・・・・)。
で、トークライブだ。
俺、得した。
本当は吉田豪さんなんだろうなぁ。
(しかしこの豪さんと彼の出会いって凄いよね)
いや本当凄い。
何がって、豪さんが彼を評価せず発言したことが、彼のBlogから火をつけ、あっという間に吉田豪さんの名前を大衆レベルまで広めたという事実。
もちろんそれまでも吉田豪さんの作る本は本当に面白かったけど、あんなにYahoo!に名前が載るなんて。
まいったなぁっと思うと同時に、これは面白いことになったと思ったのは俺だけじゃないはずだ。
彼の「物語」に、半ば強引に乗せられる。そしてそれは本当は西野君自身も別に望んでいたわけじゃない。もちろん吉田豪さんも。だから面白いのだ。だから眺めていて、ちょっかいだして、触って、笑ってみたいんだと思う。
俺は芸人としてしか、彼と喋りたくないのだ。
(と言いつつ、ライブで何度も俺は不細工だなぁと痛感した。ルックスかよ!)
ゴキゲンを伺いたいわけじゃない。会場を支配する彼のファンを、もちろん無駄に敵に回したいわけじゃなくて、俺は芸人として、これだって面白いんだぜっていう提案がしてみたいんだと思う。
そして彼にならそれができそうだと思ったのだ。
まるで自分が歩んできた人生と真逆に生きてきたような彼なのにね。
俺は成功もしたことない男だが、俺の矮小さ、卑屈さ、そして男としてのせつなさを共有してくれそうな気がしたのさ。
(当日は大分偉そうに語っちゃいましたが・・・本当すいません!!)
そして彼に俺が思ってることや、俺が強引に思ってたことをぶつけてみたいのだ。
きっとプロデューサーを買ってでた西林君もそれが目当てだったんだと思う。
だって俺の自意識、本当バカみたいなんだもん(笑)
それは面白いはずなのだ、少なくともこのアホなBlogを楽しく読んでくださっている方にとっては。
そして芸人という生き様を提示する、つまり物語を提示するべき恥ずかしい職業(これまた間違ってるって言われるかもね)にいちいち浪漫を感じ、涙し、笑う俺にとって、その物語を受け入れる前に悩み、それでも確実に進み、何度でも吼えるあの西野のエネルギーは大いに笑えるイタイ「悲劇」だと思うのだ。
いや・・・「喜劇」だと思うのだ。
最高。
芸人って最高に面白いし、最高に芸人が好きだと喋りながらずっと思ってた。願わくばその一員のまま死にたい。ここを死に場所にしたいなって思った。
俺が失敗した「新しい波8」の出演。
その何週間後。
俺に年の近い芸人がボケをつとめたコンビが番組で見事にはまった。
年齢のいった芸人は使わないという方針だった番組も最終的なメンバーに彼らを残したくらいだ。
その年のいった太ったボケがコントに出る前、ツッコミの男がネタをとんだ。
何度も何度もとんだ。
その模様はオンエアーされた。笑いになったからだ。
そのとき袖でそのコンビのボケであるツカジという男は台詞の思い出せない相方を見ながらゲラゲラ笑っていたそうだ。
後年、「はねるのトびら」の天才ディレクターになった近藤さんから
「それがお前とあいつの差なんだぞ」って言われた。
今なら俺も笑えるだろうか。
笑えるような気がするのだ。
俺のめんどうくさい生き方につき合わせてしまった大地が大好きだからだ。
うーん、そうとう恥ずかしいなこれ。
あいつが好きなんじゃない、あいつとやるお笑いが好きなだけだろう。
うん、これでいいや。
尊敬する石原さんにいつか褒められたいなぁ。
あんとき、お互いを褒めることで空気を中和して笑いを取り捲ったおぎやはぎに対抗して、俺はずっといかに相方が駄目かで笑いを取ろうとした。
本当はね・・・・知ってたんだ本当に駄目なのは自分だったんだって。
今ならあんな楽しげな空気作れるかもなぁ。だって駄目だって知ってるところから始めるから。
俺の恥部、誰かに笑ってもらいたいなぁ。
今なら”かぶせること”できるかもね。
で、二人でゲラゲラ笑っておしまい。
楽しくなっておしまい。
でもって明日にはまた大地にムカついたりするんだろうなぁ(笑)
よく付き合ってるね、俺みたいな病人に(笑)
漫才病棟かぁ・・・たけしさんはいい表現するなぁ。みんな病気なんだろう、
お笑いにすればいいなんて。でもそれしかないんだろう。
それだけなんだろうなぁ。
2008年、俺は36歳になって、まだまだしがみついて生きている。
西野からもらったエネルギーはまたコンビにもってかえればいいのだ。
はっはははっは、また面白くなっちゃうぜおじさん達(変わってねぇじゃねぇかって言われそうだねぇ)
打ち上げも同じテンションで喋って、いや喋らせてもらって、また彼から力をもらい、酒をおいしく飲ませてもらった。
打ち上げの場所だったお台場のZESTを出たらレインボーブリッジが見えた。
「遅れてきた波」の稽古をさぼってきてたところだ。
なんだろうこの充実感。
これを味わうために生きていたのなら、感傷に浸って眺めた風景なんぞ、もう俺には必要ないのだろう。
また喋ろう。
大いに俺ら喋ろう。
上手に好きなことや好きなもの、誇らしげな自慢話、最低なシモネタ、うんこの話、まだまだお前に伝えたいことを喋らせてくれ。
お客さんにも甘えさせてくれ。
ユーモアをまじえるのはちょっとだけ、ちょっとだけ得意なんだ。
それまでお互いやるのだ。
何かを作るのだ。何かを仕込むのだ。
だって俺ら芸人なのだから。
出来上がったものが全てさ。
芸人なんぞ、人間でない。
できあがったもんだけだと思う。
流れた月日の中で、語られるべき「ネタ」だけだと思う。
ならば放出したい、やりきりたいと切に願う。
もう一度こんな楽しい時間が過ごしたいから。
大江千里ばりにエールを送ろう。
頑張れ頑張れ西野!
フレーフレー西野!
フレーフレー全てのまだまだ「物語」の中にいる芸人諸君!!
フレーフレー終わろうとして人!
この駄文をお笑いに獲りつかれて獲りつかれて、でもやり続けてる人たちに捧げて終わる。
あっ、これただのトークライブの感想だったんだ、めんどくせ~俺(笑)
今から大阪はNGKで漫才やってきまーす。芸やってきまーす。GOGO漫才師。
漫才ねぇ・・・・・
人生ネタに一生しがみついてやる。
さぁ今日も死ぬ気で笑ってやったるべやん。



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