M-1 2008を観て(携帯で読んだら指つるよ)
「プロの芸人になるにはどうしたらいいでしょうか?」
ラジオの投稿やこのサイト宛に今もたまに届く人生相談だ。
いつも僕はこう言う。
「今日なればいいじゃん。今日から漫才師だって言えばいいじゃん。メシ食えるかどうかってこと?君が好きなあの漫才師も厳密にはメシ食えてないかもよ。家買えて車乗り回せる漫才師になりたい?それが夢?そんなもんが夢?夢ってのはどういう漫才をやって、どういう生き様を魅せつけるかってことでしょ?そんな痩せっぽちな貧弱なもんが夢なら・・・俺には理解できない。やめなよ」
これはある人の言葉を参考にしたものだ。その人は言う。
「ロックンロールが目的だ」って。
手段でなくて目的だ。
ロックンロールをすることが最終目標、それ以上のことなんかいらないと。
僕はこの言葉の「ロックンロール」によく「お笑い」や「漫才」を当て込む。
キングコング西野君のブログを読んでいると、
それに似たことを進言した人がいるという。
小沢君か?そんなことまで想像してニヤニヤする。どんだけM-1楽しむんだ、俺。
アルバイトしてでもお笑いできれば、漫才できればいいと思う。
もちろんうまいもん食って、一定の生活ができればなおいい。
後輩にもおごってやりてぇし、子どもは幼稚園にいれてあげてぇ。
でもね、でもそれはたまたまなんだと思う。
本気でそう思ってる。
だから部屋に履歴書もある。
お笑いやるためならバイトしても苦じゃない。そういう浪漫がなければできないことがある。
でも俺は一回も使ったことない。
だって仕事があるから。
仕事くださいって頭さげるから。どんな仕事も昔と違って自分の中では一生懸命やるから。
かみ締める。
だからこそ仕事がある喜びを誰よりもかみ締める。
恵まれているんだ、俺たちは。そう言い聞かせる。
家族がいるってのもある。
使ってくれてる人がいるってのもある。
だからうけなきゃ駄目だ。
うけることが自分の役目だとも思う。
誰かのために漫才やったり、誰かのためにお笑いやるのがそんなに嫌いじゃない。
それはそれで面白いから、またお笑いがやめられない。
懐が深いよ、お笑い。
俺は音楽関係の仕事をいろいろやってる。イベントの司会、企画、時にはコラム、それにDJパフォーマンス。単純に音楽が好きだというのもあるが、元々は2005年に仕事がゼロになったときに、そういうお仕事をいただく機会に恵まれて、一回やってみたら自分にしかできないことがあると思えたからやってる。そしたら相方がエアギター世界一になった。
なったからまだ劇場に出れる。
劇場で漫才をやるのが大好きだから、俺はそれをとても嬉しく思う。
だから今でもこのエアーギター世界一に感謝する。
そんでもってそれを利用して、しまくって全然違う着地点の漫才がやれたりする。
それが足かせになるなぁって思ったときもあったけど、それですらなんか心地いいものだ。
うけたら全部オッケー。漫才やり続けるならば全てオッケー。
でもきっと、この恵まれた現状が破壊して、劇場に出演できなくなったら、俺どうするんだろう?
毎日考える。
その恐怖がある。
俺は人に見せたい。人に認めてもらいたい。
挫折や後退を繰り返しながら、何度も何度も逃げ出したいような気持ちになりながら、それでもまたずうずうしく披露する。笑ってもらいたくて披露する。
自分だけで満足なら部屋でやってればいいのだ。
誰かにやいのやいの言われたくねぇなら家で一人でやればいいのだ。
好きで好きでしょうがないんだ。
俺はお笑いが好きで好きでしょうがないのだ。
友達の中での笑いじゃねぇ。他人だ。他人と繋がりたいのだ。
まいった、まったくまいった。
めんどうくせぇもの。
「M-1グランプリ2008」はなんかとてもいい感じだった。
ぼんやりした感想だけど。なんかいい感じだった。
あったかい空気というか、最後には物語りを背負った二人が高い技術を披露してカタルシスを手にいれた。
そういう側面だけでなく要所要所で素晴らしいシーンがいっぱいあった。
「ウィ!!」と返事した上戸綾さん(絶対来年も彼女でいいんじゃないですか?ちょっとこのイベントに対して距離があるからいいのだ)、ザ・パンチに「しんで~」と逆に言った今田さん、決勝進出ならずのとき、最後に笑い飯西田君が叫んだ「おもってたんとちがう」(小便ちびったよ、おもしろすぎて)、やたらと大きく笑うプロの観客だった矢口真里さん、戦後すぐならば国民的なスターとして映画きまりまくっていたであろうオードリー春日君の存在感、等等もろもろ。
「審査」の本質を語った島田紳助さんの一言。
僕は絶対支持ね。だってしょうがないもの。
誰も客観的になんかなれないから。
そしてそれをどこかで声高に叫べるから今、批判する人もいるだろうが、
そんなリスク背負って分かってあの場に立っているんだからそれだけでも凄いと思う。
なぜ島田紳助という人が司会者の席でなく、あそこに立っているのか?
それが全てだ。
みんな好き勝手意見を言うし、若き漫才師はそれを言われるのを覚悟してあの舞台に出てくるわけだし。
なんならその意見込みのケレン味たっぷりなところ(準決勝の審査とかね)がM-1の魅力だろうから。
U字工事が堂々として感動的だった。
のまれたら怖いなって思ったけど、全然そんなことないなって。
余計な心配?ははは。そうそう俺らみたいになったらダメって言ってたからねぇ(笑)
全然そんなことなかった。
素晴らしい。
いつもの彼らだった。爪あとを残すとはこういうことだ。
しかも彼らの漫才って地方の芸人のある種の指針になったんじゃないかなぁって思う。
札幌事務所の芸人とか誰もローカルのネタやらないからね。
テレビで使うときにどうやって使うかって話になったときみんなその話になる。
北海道にこだわるのに北海道の知識や愛情がなければ、東京や大阪でやってる芸人においしいところ全部もっていかれるの当たり前だ。
おんなじ価値感の中で純粋にネタ(こういう言葉好きじゃない。だっていくらでも言い訳できるじゃん。結局求められていることができないだけじゃん)で勝負して欲しいと言うならすぐに東京いけばいいんだと思う。
北海道に生まれて、北海道でやっていくなら、少なくとも郷土のことにシフトチェンジした側面ももっておくべきだ。U字工事の漫才はそういう地方で切磋琢磨する沢山の芸人にすごくヒントになったと思う。
笑い飯が素晴らしかったなぁ。
本当グッときたねぁ。
優勝決まったとき、一番さえない顔してた哲夫君の、その表情もこのM-1が「競技」だって思わせたから俺好きなんだよ。
単純にボケのレベルたけぇネタだったし。
なんつか、M-1でしか知らないけど、彼らは復活したってことでしょ。
すんげぇ感動的じゃん。
M-1通じて後退したところも見せて、徐々に復活しているところも提示して。
本人がまったく思ってないであろうに、本番通じて生き様提示してきやがった。
しかも感の鈍い奴にはいつものように「道化」しかしてないように見せているし。
レベルがむちゃくちゃ高いよ。
baseの芸人のある種の指針になってるところも素晴らしいね。
なんか好き勝手やってないよね。それがなんかいいと思う。
あーしょうがねぇなぁって言われるんじゃなくて、ちゃんと対策考えてやっている。
つまり苦悩している。
でもってそれを克服することまで売り物にしようとしている。
あくまでも本人が思っているのかどうか分からないけど。
だからいい。
俺ここ一ヶ月でむちゃくちゃ笑い飯のファンになってる。
来年優勝。どう?
いや俺が言うとまたなくなるから(笑)
本当勉強になった。
こういう漫才師いいなぁって。
千鳥も絶対敗者復活でいい漫才やったはず。そう思えてくる。
やっぱりM-1の代名詞なんだと思う。
そういえば決勝始まる一週間前くらい。ルミネでネタ合わせをしている二人にエレベーター前で遭遇した。正確にはネタ合わせというより、言葉のチョイスに悩んでいる二人だったが、その顔が真剣で、エレベーターの中でなぜか俺は笑ってしまった。
だって顔が真剣すぎて面白かったんだもん(笑)
いい顔してたなぁ。色気あったね。
はけ際の最後の一言とか本当ションベンちびったねぇ。
笑ったなぁ。
ダイアン。
僕、優勝候補にあげてました(笑)でも全然いいと思う。この日のネタもすんげー面白かったし。
まぁいろんな方々がいろんな意見でダメだしをしているでしょうが(その辺は皆さんでサイトとか探してみたらいいのではないでしょうか)、津田の顔とかいちいち面白いし、漫才の構成や発想でも俺はむちゃくちゃ勉強なったんですね。
順番とかもあるし、「競技」や「手数」が叫ばれるM-1においては、まぁハマらなかったのかもしれないですが、僕はむちゃくちゃ優秀だなぁって思いましたね。
自分が思っている以上にこの大会が「競技」になったんだなぁって、ダイアン観ながら思ってしまいましたけど。でもやっぱり単独ライブが今一番観たい漫才師ですよ。
本当、漫才師してたなぁって。
ナイツ。
「浅草の星」ってコピーが素敵。うらやましい。出ないかなぁ浅草花月。
最後の最後にM-1に合わせなかったなぁって。
「イロモネア」の収録で、一発目でダメで「野球のことばっか言ったらポカーンとされましたよ」って言ってた塙君。
意外に頑固?面白いね。
あとこの日のお客さんの口にあってなかったかもね。
お客さんと言えば松本人志さんは去年位からお客さんのうけ方を凄く重要視してないですか?
それがかなり意外でした。
「漫才は省略」。島田紳助さんの言葉ですが、それをちゃんと実践できてたのが決勝3組じゃないでしょうか。
ただしナイツに関しては「M-1」という価値基準においてでなく、
あくまでも「寄席小屋」において出来上がった価値基準だと思うんですね。
寄席小屋で何千回も漫才をした男のぶれない価値基準じゃないですか。
やっぱり「M-1」はテレビ番組なんだと思う。「競技性」を含めたテレビ番組。
関西では北京オリンピックの次の視聴率だったってことらしいが、どっちも競技なんだよね。視聴者は「競技」が好きなんだと思う。そこにちゃんとプロレス的な要素が絡めばより面白くなるのかもね。もちろんリアリティのある、ね。
「ドリフや「ひょうきん族」と同じテレビ番組で、時代と出演者と製作者と見てる側の熱で化学変化して今の形に落ち着いたんだと思う。
だからザ・パンチは絶対あり。
100%いていいんだと思うし、最後に紳助さんがいじったところも好きだ。
キングコングについてカウス師匠が指摘していた「頭で漫才してて、ハートがおいついていってない」という言葉がある。
メールでいろんな人が指摘してたが、これ逆じゃないだろうか?
ハートはあるけど、頭がおいついていってなかったんじゃないだろうか?って最初に思った。
でもやっぱりカウス師匠の言うとおりかもしれないなぁって思ったりして。
なんか出てきてからの落ち着きが全てだったような。
ガツガツして無我夢中の二人が好きだからかもしれない。
でも西野君は気づいていると思うよ。
いろんなこと。
巨人師匠がNON STYLEに最後言った言葉あるじゃん。
あれがキングコングとNON STYLEの差じゃないですかね。
でもそんなこと言われなくても気づいているんだと思う。
ブログを読んでたら、打ち上げで哲夫君に話かけたとある。
あぁ・・・最高。南海の山ちゃんにリポートしてほしいくらい。
俺一番ワクワクしたかもしれない。見たかったなぁ、それ。
二人、来年M-1っていうリングで「プロレス」やらねぇかなぁ。
モンスターエンジンは「靴屋」じゃないんだって思った。
あれ大好きだからね。
西森君のおそろしく冷たい感じがいい。
ゴールデンっぽくないところが。
オードリーとNON STYLE、どちらも素晴らしかったです。
ネタは紳助さんが言ったとおりで審査員は最後好き嫌いで決めたんじゃないでしょうかね。
もちろん皆さんご指摘の通り、紳助さんの一言はでかかったかもしれないけど。
でもそういうことなんだと思う。
それでの結果だと思います。
オードリーに入れるなって意味じゃなくて、あそこに座っている人はそういうことなんだっていう。
ミスをどんだけしたとか、噛んだことが一番うけたじゃないかぁとか、
もうその意見が何より好みの問題じゃねぇかなぁ。
つうか何遍も書くけど、それがM-1なんだよね。
立体的な多方面の魅力。
だからって視聴者に審査させる?
高校生に審査させる?
だったらこんな熱くならないよ。
若い人をベテランが裁くのはおかしいとか言う奴がいるけど、何なら、誰ならいいんだろう?
誰がやったって「好み」だよ。
何が客観的だ。笑い声の大きさで判断するかい?
でもってその後テレビに出るときはまたプロデューサーの「好み」で判断でしょ?
どこいったって「好み」で判断されるんだよ。それが分かった上で、そんな残酷な中で生きているんだ。
そんなことが大変だと言いたくないね。みんな一緒でしょ。
会社でも一緒。
誰が審査員やってもそういう意見はでるの。
分かっててやってるんだよ、皆さん。で、そういう意見が飛び交ったり、準決勝の審査員のブログが炎上することも含めて、もうM-1ってお祭りなんでしょ?
面白いんだよ。
そういう意見自体、これからまんまマスに売れていくもんなだと思います。
僕はこの二組と何回か仕事やらせてもらってるんですが、共通する印象があるんですよ。
それは「修正力」に秀でたコンビだってこと。
オードリーはサマソニのときに、何回かネタやるんだけど、合間にむちゃくちゃ修正してきた。凄かったね。あっ、こんな変えるんだって。うけてた、めちゃくちゃ。
NON STYLEはファンの方のほうが詳しいんじゃない。
レッドカーペットも最初は中笑いでしょ?
オンバトも最初はそんなよくなかったんじゃないっけ?
つまり環境に応じて適応していく能力がハンパじゃないんだと思う。
だからM-1を研究していたんだと思う。
決勝一発目のネタが最初ルミネで始めておろしたとき、全然うけなくて、空き時間でほとんど変えてきたって聞く。
それができるかどうかって才能だと思う。
あとバランスが最高。
だって動じないもん、井上。
衝撃でしたね。どっしりしてる。
笑い(ボケ)の内容についてどうのこうの言うんでなく、形式として、
漫才の本質として、非常にバランスのとれた漫才師だという事実に感動した。
あの事前VTRのストリートから出てきたって煽り。
あれでNON STYLEの「物語」に吸い込まれた。
あれが傑作だ。
「物語」。
これもあるじゃんね。
ドキュメンタリー要素必要ないっていうなら出なきゃいいんだよ。
春日君が言ったら
「(自信?)なきゃ、ここに立ってないっすよ」
って言葉がグッとくるのは、ちゃんとそれが物語性を含んでいるからでしょ。
NON STYLEの事前VTRには吸い込まれたなぁ。
一瞬にして彼らの物語を共有した(つもりだ)し。
鬼気迫る「技術」(技術の大会ですから)の完成度は彼らが今までに背負ってきたもんとか、M-1に対する気概を感じてグッときたし、最後の涙にもらい泣きした人も沢山いたはずだ。
何よりよしもとの人間としてグッときた。
よしもと制作ですから、M-1。
2年連続他事務所ないぞって気になってたからね、不思議と。
それを背負ってたかどうかは分かりませんが、いろんな人が瑠飲を下げたと思う。
もちろん「漫才の破壊」の祭典の側面が絶対不利なんだという厳しい現実も露呈されてしまったことはショックですが(約束していいっす、来年NON STYLEの模倣がたくさん出ますから)、今回のような展開はバラエティとしてはとても優れていたものだったと思います。
だけどなぁ、だったら10年以上の芸人も参加してもいいんじゃない?
一年間M-1に照準合わせてネタを仕上げるという喜び味わいたい。
これが最終的な感想です。
すいません。こんなので。
ただひたすらうらやましかった。
そもそも好きとは言え、こんな感想なんの意味があるんだ。
いいなぁ。
大人気ないっすよね。
でもこれが本当の感想。
自分の出番、自分の出来ること、それがあるのは分かっている。
10年以内という儚さもM-1の魅力と知りながら、このもやもやした気持ちもあるのです。
「技術」を競う競技と化しながらも、物語り性を帯び、しかも堂々としたエンターテイメントバラエティでもあるという奇跡の番組に成熟した今、とてつもなくやりたい、トライしたいなって思ってしまったのです。
そう俺は嫉妬していた。
激しく嫉妬していた。
感涙する石田に、平然とそこにいる井上に、死んだような目をする哲夫に、最後まで圧倒的な存在である春日に、そしてそして点数が出た瞬間の西野に。
結果を楽しむのでなく、本当は当事者としていたいのだ。
理由は簡単だ。
あそこで幾ら値踏みされようが、(こういう風に)外野にやいのやいの言われようが、俺だって他人に伝えたい漫才師の端くれなのだ。
漫才で、この手法で、俺はこんな笑いをしたかったんだっていう主張を。
例え分かってもらえなくてもいいから、俺はずっとずっと分かって欲しいって、それだけもがきながら、言い続けながらいつか死んでいきたいのだ。
そしてその確信と浪漫さえあれば、最終的に誰かに評価されなくとも、
この駄文の冒頭、「ロックンロールが目的」なんだと嘯く(あえてこう言わせてください)男が最初に世の中に問うた歌の歌詞にある
“決して負けない強い力を僕は一つだけもつ”
「リンダリンダ」作詞・甲本ヒロト
になるのだと思う。
家から飛び出し、道路で披露というもっとも原始的なスタイルで、修正しながらその技術を磨いていったものが、この新しい価値感を携えたM-1の新王者で心底よかったと思う。
本当におめでとう!NON STYLE!
そして精一杯のやきもちと痩我慢を込めて、違うところなら俺は負けないぞって真剣に言い、これからも生きていきたい。
もしも、今俺のところに
「プロの芸人になりたいのですが、どうしたらいいのですか?」
と言われたら、こう答えるつもりだ。
「まずは外にでて、そこで人前で漫才をやってみなよ。
路上でやってみることから初めてみるんだよ。
M-1王者のNON STYLEのように」



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