カウントダウンジャパン大阪で90分DJやった。
やはり大阪の熱は凄い。途中で俺は何をやっているのか分からなくなるほど熱くなってた。とんでもない人だった。
とんでもない動員だった。
それから90分、あんまり覚えてない。
前半の洋楽があんまりハマらなくて、「Paris」をカットしたことくらいは覚えている。
ダンスを取り入れたりしてるから、ダンスの連中に気を使って楽曲を変更しなかったことが反省点だ。
いつも土壇場であいつらのこと(君徒踊李隊)を気にしてしまう。
ここが甘いんだ。
あいつらを大事に思っているならばこそ、あいつらを人間扱いしないのが一番なのだ。
一番お客さんが喜んでいるところで当事者にしてあげなくてはいけない。
だからってただのエンターテイメントDJだけにするつもりは毛頭ない。
いろんなタイプの楽曲を分かりやすく、少しの笑いとまぜて提供したい。しょうがねぇなぁ。
でも熱くなった。
なんでだろう。
大阪では去年も含めいつものことだ。
なんでこんなに人がいたんだろう。
不思議な気持ちになる。
気づいたら楽屋でボーッとしてた。
楽屋、横の片方がPuffyさんで、片方がチャットモンチーさんだった。
凄い並びだ。
Puffyさんの今年発売したシングルの「マイストーリー」という曲が大好きでそれを伝えたかったけど、二人を前にしたら喋れなかった。
トリのチャットモンチーさんが楽屋でずっと引き語りで歌ってた。それだけでも相当贅沢なことだ。俺はじっと聴き入ってた。しばしの脱力感の中、俺はまた独りぼっちを感じていた。
なんでこんなことやるのかって言ったら、俺はいつもこの気持ちを味わいたいからなんだと思う。
単独ライブやってもそう。終わった後に、どうしようもない孤独感に襲われる。
これがとてもいい。
なんか全部出したぞっていうときにしか味わえない。
本当はルミネで漫才やってるときも感じたいんだけど、ルミネやテレビでネタやるときは、やっぱり出来が気になってしまう。まだまだ技術的にあぁしたかったとか、こういう改良したほうがいいとか、そういう考えが頭を支配する。
Puffyさんのバックでドラムを叩いてたユニコーンの川西さんと挨拶。
実はこのブログでちょっと前に「音楽業界が激震するぞ」って書いた。
そうユニコーンの再結成のことだ。
実はあの記事を書いた直後に川西さんから連絡があった。
「あれってボクラ(ユニコーン)のことですか?」
俺は泡食った。
そりゃそうだ。
だってユニコーンの川西君(西川君)だぜ?なんでブログ読んでいるんだよ。
俺は初めてのライブハウス経験が大分農業会館で行われたユニコーン「服部」ツアー大分公演だった。
多分、「服部」ツアーでスタンディングはここ(大分)だけだったような気がする。
農業会館ではブルーハーツとかも観たなぁ。ユニコーンのツアーは「4946」ツアー以外は全部行った。
高校生になってユニコーンのコピーバンドも組んだ。
民生さんが好きすぎたけど、ボーカルは地元の男前の同級生市原君に譲って、
俺はテッシー担当だった。
「人生は上々だ」というゲイの歌を演奏するのが好きだった。一回もギターソロちゃんと弾けたことないけどね。
ビートルズだって、ユニコーンが好きにならなきゃ後期は絶対好きになってない。
お子様や女子のアイドルとしてのビートルズより、音楽ってこんなに自由なんだっていうことを教えてくれたのが後期のビートルズの魅力を教えてくれたのがユニコーンだった。
「抱けないあの娘」の
“窓の外の暗がりを目で追いながら”
という歌詞は
俺が尊敬する真島昌利の
“プラネタリウムみたいな満天の星”
に匹敵する素晴らしさだと思う。
ユニコーンのビデオは全部持ってた。
高校生のころはダウンタウンとユニコーンが全部だった。
ユニコーンの大分文化会館でのライブ。確か「嵐の獣」ツアー。
朝から2時間かけて鈍行で故郷佐伯から大分市内まで出る。ポケットの小銭を集めて、大分駅前の立ち食いうどんを食らう。
ライブまでの時間ブラブラと歩いていたら、ベースのEBIさんがいて、とりあえず尾行した。それで終わり。なんも起きなかった。なんもできなかった。そりゃそうだ。クラスでもまともに他人と喋らない奴が、なんで憧れのバンドメンバーに声かけれる。
俺は新聞配達や漁の手伝いやごみ収集のアルバイトで稼いだ金でTHE WHOの「LIVE AT LEEDS」を買った。当時、THE WHOのアルバム、というかCDは高かった。洋楽は特に。
それを毎日聴いていた。子供バンドもカバーしている「サマータイムブルース」がお気に入りだった。
THE WHOのドラムのキースムーンは川西君が褒めているから素晴らしいんだって思った。それからTHE WHOが大好きになった。
本当にユニコーンが好きだった。
その川西君が言った。
「あれ(再結成)、ボクラじゃなくてBOOWYってことにしてください」
俺は笑った。
なんでも1月1日に発表するまで情報を絶対漏らさないのは絶対ということだった。
その割にはいろんなところで耳にした噂だったが、僕は「もちろんであります!」と応えた。
だからあの記事の次の日の記事はBOOWYの話になってる。もう一度観たいとかそういう強引な言い回しになってる。俺もあんまりやり方上手くない。
その川西さんと握手した。
民生さんにも挨拶させてもらった。
でも、なんだか昔と違う。
少年時代から好きだったアーティストに会えるよろこび、今も音源等でワクワクさせてくれているバンドマンたち、彼らに会う喜びよりも、ただただ今日自分は出しきれていただろうかということだけが頭をよぎっていた。
雑念があるということはまだまだなのだ。嘘のような瞬間がもっともっと出来たんじゃないかと思った。大阪のオーディエンスに助けられたかなぁと思った。
何千人という人々が来てくれた。
なんでだろうか。なんでそんなたくさんの人がきてくれて、何を俺はしているんだろうか?
そのままホテルに向かい、俺はインスタントラーメンを食って、寝た。
2時間後には梅田のシャングリラで初めての「ジャイアンナイト大阪」。
ワッツーシゾンビというバンドが最高にダイナミックなライブをしてくれた。
大阪の盟友鈴木君の紹介で知ったバンド。
チベット問題にも熱心で、この間も抗議の意味でのイベントをやったそうだ。
素晴らしい。
お客さんはたったの40人だった。
久々の赤字だ。でも俺は一生この40人のことを忘れないだろうと思う。
70分と40分、2回DJやった。
鈴木君の友達がどこにそんな体力あるのって驚いて言ってた。
大阪にはTOKYO BOOTLEGというイベントをオーガナイズしてるO-ant君を連れていった。
YOU TUBEで観て、こんなパワーあるイベントやっている奴いるんだって紹介してもらって、よく知らないけどイベントに出てもらった。
元ホストかなんかで、ウケを狙って喋って、お客さんから顰蹙を買ったところで俺的にはオッケー。
俺はゲラゲラ笑った。
それからはただのヤリチン扱いだ。
いじりやすい奴だ。
そんな軽薄そうなイメージを撒き散らすが、その本性は音楽が、ロックが好きで好きでたまらない男だ。
退屈なかっこばかりのDJの皆さんには俺は興味がない。
つうかそれはそれでいいから邪魔だけしないで欲しい。
ハウスやヒップホップやレゲェの人たちがやってるDJ、凄いんだろうがよく分からん。
だからこっちにも言ってくるなって思う。
こっちもわざと分からんと言ってやってるからだ。
喧嘩するならとことんやってやる。
そういう人も凄いと思うが、自分に必要かって言ったら困る。
大事なのはどんなジャンルの音楽も好きで、批評的で、エンターテイメントしようとしてる奴だけだ。
そんなもん、誰もやらないから、やったことないから、こっちは真剣にやるんだ。
TOKYO BOOTLEGの連中とはやり方も違う。
趣味も違うだろうが、好きだという「熱」が気に入ってる。
だから見せておこうと思った。俺はこうやるから、幕張でどうするか決めてくださいってことだ。
幕張。
ちょっとびっくりした。
初めて電話で内容を聞いたときビビッた。
DJ BOOTHの年明け全部ダイノジさんがやっているジャイアンナイトで
やって欲しいんです。
俺はドギマギしながら聞いた。
「人数何人くらい来ますかねぇ?」
「まぁスタンド合わせたら1万人とかになりますね。
新しくDJ BOOTH造るんで」
って。
マジかよ。
今までだってロックインジャパンでやったときは2000人から3000人くらい、サマソニもめちゃくちゃ盛り上がって4000人だった。
それが今回はとにかくとんでもない数字だ。
うーん、大丈夫?
大丈夫じゃないから、とりあえずイベントをやってみた。
the ARROWSとのほぼ2マンの深夜イベントがでかかった。
彼らが100分やって、俺らが120分DJやったイベント。
あそこからちょっと自信がついてきたというか、うん、長くやってもこれは面白いぞってなってたから。
あのノリでやってみようってことで、屋根裏の人からの誘いもあって333分DJやるイベントをやってみた。
ひどいCDの音とびやお客さんの中でのトラブルもあって(mixiでもめてるらしいけど、俺はこれからもイベントをやりながら解決していく。とりあえず場所取りだけは勘弁、サークルモッシュも場所取りだっていう人がいてうんざり、みんなで仲良くできないかなぁ)、空気的にはイマイチだったのだが、最後はお客さんの力で納得いくもんになったと思う。
結局いつもお客さんのポジティブな力に助けられる。
達成感っていうのかな、そういうのはあった。
そこでの反応でカウントダウンジャパンの内容も固まった。
カウントダウンジャパンの最後はどんなにお客さんが疲れてて、そういうモードじゃなくても、ネタで終わりにしようと思った。
漫才師の浪漫とかじゃなくて、単純に大勢の前で俺らうけるから(笑)
だってルミネに出てるから。世界ナンバーワンの劇場で爆笑とってるから。
だから楽しませるっていうなら、ちゃんとネタも入れなきゃダメだと思った。
俺はルミネtheよしもと 代表、浅草花月代表、∞ホール代表、京橋花月代表として、そしてよしもと代表として漫才しようって思った。
めんどくさいよねぇ、本当。
本当は大阪でも漫才したかったけど、演出的にちょっと無理っぽいからやめた。
来年は絶対やりたい。って、来年も出るつもりかって言われそうだけど(笑)
大阪の公演が全て終わり、東京に戻って、30日。
夜からJFNラジオ「ダイノジのスクールナイン」がダイノジ最後の年内のお仕事。
熱を込めて一年間喋り続けた。
なんと初回が去年2008年の元旦で、仕事初めだったのかな。
あっ、幕張でしょこたんとビークルのラジオの公開収録やったんだ。あれが仕事初めだ。
それで2008年の俺的なナンバーワンシングルがしょこたんの名曲「綺麗アラモード」だもの。
縁があったねぇ。
それで突然幕張最後の漫才を飛び入りでやらせてもらったんだ。
エアーギターとかやってね。そんときも漫才やれば良かったかなぁって。
で、家帰ってちょっと寝て、子どもと風呂入って、半蔵門のTFMに向かったんだよなぁ。
あれから一年かぁ。
ラジオってリスナーの反応が直接的だから楽しい。
ボケも練ったのより、ちょっと思いつきみたいな、ねぇ?
1年やったことがでかい。
なんの話しだっけ?
そうそうラジオで始まり、ラジオで終わるっていう。
それで俺だけ日本テレビの「クギヅケ」の収録。
怪談話喋ってね。それで終わり。年内の追い込みで制作会社で寝てる人とかいてね。お疲れ様だよねぇ。みんながそれぞれ頑張って成り立っている。バラエティってのは本当にすごいエネルギーだ。
それで夜中の12時、新宿の「航海屋」っていうラーメン屋で独りでチャーハン食った。
(美味なり!!!)。
背中丸めて独りで。
酔っ払った若者の喧騒の中、一人でチャーハンを掻きこんだ。
人恋しいけど、いい感じ。
歌舞伎町の風俗で働いたような派手な女がタクシーに乗って帰る中、それを横目で見ながらそろりそろり歩いた。
少し欲情したんで新宿駅の南口のビデオ試写室でAV観ながらセンズリこいて、
ちょっと寝た。
時刻は2時をまわっていた。
よろよろと立ち上がって外に出た。
外気がほほに触れる。寒さを通り越し痛みを感じるくらいだ。いい感じ。黒い猫どもが前を横切る。ひと気はほとんどない。ここが東京か?って感じだ。
南口の前にゲロにまみれたハゲたおっさんが血出して泣きながら倒れている。
その傍らには粗悪なカツラがこれまたゲロまみれで放置されている。
俺は笑った。いや、笑おうとしてみた。
でも笑えなくて。泣けてきた。
なんでこんなに悲しいのだろうか。
なんなんだこの気持ちは。
おっさんは肩をいからせ笑っていた。
俺はそれを見て、胸が詰まりそうになる。
おっさんに何があったのか知らない。
なんにせよ、おっさんにかわいそうと思うのだけはやめようと思う。
息を吐くと白い。
いっそのこと、おっさんを殺してみるのはどうだ。おっさんを殺すことをイメージしながら、俺は甲州街道から山手通りを歩いた。
冬のこの空気の凛とした決意のある残酷さはどうだ。
俺は思った。
俺は今独りだ。
最高だ。
孤独を認識するのって本当に嬉しい。生き返る瞬間。
こうやって何度も何度も孤独であることを確認しないとダメだ。
この気持ちで生きていることを実感する。
そうだ、そうだ、世界は残酷だ。人生とは過酷なことの繰り返しだ。
だから面白いんだ。だから素晴らしいんだ。
思いっきり泣いてみようか、思いっきり笑ってみようか。
俺はとてつもない熱量をもって生きてみたい。ちぎれるような野蛮な気持ちですべてをめちゃくちゃにしてみたい。そしてそしてその先にある他人と最終的には繋がってみたい。心で何度もそう繰り返す。届いて欲しい。
途中、山手通りのナチュラルローソンで熱いオーガニックコーヒーを飲んだ。
尾崎豊に教えてやりたい、もう100円ではコーヒーを買えない。あんたの言ってたぬくもりは100円では買えない。でもコンビニに行けば瞬間だけ暖かくなれる。孤独なんぞいくらでも優しくなぞることができる。そうさいつだって休めばいいだけなんだ。
孤独を感じてみて、改めてその存在の大きさがわかる「家族」というもの。
俺は小さな赤ワインと簡単なツマミを買って、そこからタクシーに乗って帰った。
家に帰ったら嫁がいた。子どもが寝ていた。
俺は夫婦で赤ワインを開けて、乾杯をした。
そして、ラジオで喋ったことを報告しながら、一年間頑張ったこと、辛かったこと、嬉しかったこと、そんなことを思い出しながら互いに労をねぎらった。
12月31日、幕張に着いたのは22時くらい。
途中でロッキンオンの兵庫さんから電話が入った。
僕にDJをやらないかと誘ってくれた人だ。
大地が嬉しそうにロッキンオンの渋谷社長とミニコントやったことを喋っていた。
飯を食って、ブッチャーズの吉村さんと喋りこんだりして時間が過ぎていく。
俺がなんで「ジャイアンナイト」という名前にしたか、それはこの人のニックネームからだ。
吉村さんがみんなからジャイアンって呼ばれていたからだ。
いいなぁって。俺はこの人の奏でるギターの音色が本当に好きだ。初めてライブを観たとき、こんなもんがあるのかと衝撃をうけた。それに「ドラえもん」のジャイアンって歌が下手だ。俺もDJうまくない。でもいばってる。俺もなんでかいばってる。注意も散々されるがいばることをやめない。
それとジャイアンは映画ではとてもいい人だ。男気があって友達思いだ。だから好きだ。
そういうちょっとあったかい雰囲気が好きだからイベント名にしてみた。でもまぁ最初はトークライブのタイトルが「ジャイアントーク」だったんだけどね。
怒髪天のカウントダウンに参加してから、一緒に舞台に出たりょうちゃんとハイタッチして、楽屋に戻って準備に入った。
スタッフに促されてDJブースに着いた瞬間震えた。
お客さんは信じられない数だ。
もう本当にパンパン。柵のその先にもいる。
僕らの「ジャイアンナイトJAPAN」の前にラムライダーさんがDJしていた。
ラムさんは前日、ご丁寧にメールしてきてくれたナイスガイで、僕らダイノジのオンラインを観てくれて絶賛もしてくれたお笑いファン。しかしなんで観てるんだっていう(笑)今回楽屋でいろんな人からブログ読んでいるとか、よしもと∞トークのファンだという人がいた。どこで見ておられるか分からないんだから、やっぱりどこでも手を抜いてはいけないのだな。
ラムライダーさんのゲストで出演していたHALCALIさんに挨拶して、ステージに出て行った。
まずは僕らの挨拶からだ。
よかったぁ・・・
「LIVE STAND」経験してて(笑)
緊張っていうより、やってやるっていう気持ちになれたもの。
エアーギターのネタやって、それから、ブロードキャスト、エリートヤンキー、ゆったり感らの漫才。上々のすべりだし。
みんな忙しい合間に快く来てくれたよしもとの後輩芸人たちだ。
それからピン芸人特集、元どくろ団、現在の芸名“カートヤング”(あの板尾創路さん命名)、ウクレレえいじ、マキタスポーツが爆笑につぐ爆笑をとってくれている。
やっぱり彼らでよかった。
これまた川崎でイベントやっててよかった。こういう空間で映える芸人ってのが分かってきた。
そして、O-ant feat風と健康の会。
風と健康の会は1月で解散だ。
だから自分なりに花道にならねぇかなぁって思ってオファーした。
まぁそういうとなんか俺が優しいみたいに思われるけど、実際はPerfumeで踊りたいお客さんいるでしょ?っていうことを第一に考えた。2008年を代表するアーティストだし。
初めてO-ant君の映像を観たとき、「Perfume」の振り付け指導かなんかをお客さんにしているやつだったから、こんな形にした。
時間が短いのは申し訳ないが、だからこそ凝縮して、伝えようっていうDJになったはずだ。
これでいいはず。
最後にはお客さんも一つになって大盛り上がりだったからホッとした。
いい顔してた、みんな。
その流れから俺らが登場した。
105分。アホになった。
途中で俺は何をしてるんだって思うんじゃなく、確信をもってやった。
俺は芸人として、このステージにしっかり立ち、音楽という武器(小道具)でネタをやった気分だ。
だからこそ楽曲はいいものしかかけない。そこがボケてたら意味ない。本当に好きでかっこいいものだからこそ批評になる。間違ってないはず。
ずっとやってきたことだ。
全然ぶれてない。
一年やってきたことが出ただけだ。
信じられない光景が見えた。ざまぁみろだ。
とても痛快で面白かった。
前の柵でゆったり感やブロードキャストが踊ってくれた。
これもまたよしだ。
渋谷社長が世界で一番嫌いなB’zの曲から初めてみた(笑)ちょっとした皮肉になってたかもしれない。でもいいんだ。愛情がちゃんとある、俺には。
今年はB'zのかっこよさに気付いた年だ。
嵐もかけた。もちろん洋楽もしこたまかけた。
Perfumeがいて、稲葉がいて、矢沢がいて、フリーザが2匹いて、井脇ノブ子(大地)がいた。ものまね館に失礼なくらいのチープさで(笑)
「CLUB サザン」で「明日晴れるかな」って曲に惚れこんで、ずっとかけていたけど、今日は初めて歌詞をだしてみた。手書きの歌詞。みんなが歌ってくれた。
渋谷でJackson vibeのグローバー君に会わなければ「LIFE」の振り付けを考えてなかったと思う。
たまたま会って、その場で僕らDJのイベントの真似ごとやってるんですよ、今度出演してくださいって言ったのが2008年の1月。
それで出演するバンドの楽曲をかけてパフォーマンスするって決め事にして、無理から俺がフリつけたのが、今では会場で1万人が真似して問い合わせが殺到してくれる楽曲になった。
嘘みたいだ。
そういえば、DJイベントやってまだ間もないころ、2006年の6月9日。
誕生日イベントってことでロッキンオンジャパンの編集長山崎洋一郎さんに出演してもらったとき、怒髪天の増子さんにも出演してもらった。
そんとき、山崎さんが笑いながら増子さんを見てて、「へー、増子君ってこういう人なんだぁ」って言ってたから、かまわずプッシュしまくったのを覚えている。
その場で山崎さんに怒髪天のCDやいて渡したりね。
それでその年の年末、初めて怒髪天がカウントダウンジャパンフェスに出演した。
それはもちろん俺のおかげなんかじゃなくて、時流、すなわちタイミングがあったんだけど、めちゃくちゃ嬉しかったのを覚えている。
もちろん増子さんはDJでも出演した(笑)
今回なんてクドカンさんと二人でやってた。
確信的なグダグダで最高だったそうだ(笑)
そう思うと意外にその場その場にいるじゃん、俺。
やっぱりやってて良かったんだと思う。
何になるか分からない。
やり直しで2回マキシマム・ザ・ホルモンの「ぶっ生き返す」をかける。
”脳みそ常に震わせて 荒々と運命に背く
もういっそ、俺に生まれたなら 君をぶっ生き返す”
2008年一番グッときた歌詞だ。これは生き様の歌だ。なんにもしねぇくせに文句ばっかりたれている奴ら、布団の中で一日過ごし、ネットに他人の悪口匿名で書いて溜飲を下げている奴らには一生分かるまい。 外に出てきて、何かと繋がろうと来たやつらのテーマソングだ。
「明日晴れるかなぁ」の大合唱のあと、俺はフロアを見回した。
ここに童貞はいるんだろうか?
ははは、何考えているんだ、俺(笑)
いや、いや、俺は自分の、高校一年の大分農業会館でのユニコーンのライブを思い出していたのだ。
ケミカルウォッシュのジーンズにMICHIKO LONDONのシャツ(母親が大分に行くならおしゃれしなさいって買ってくれた)、靴流通センターで買ったバッシュ。
中学時代、坊主頭だった俺らは1学期を終えてやっと髪の毛を伸ばしていいことになっていた。・
中学時代の暗黒のような時代を経て、俺は色気づいた。
バンド好きの友達がたくさん出来て、佐伯という田舎町から2時間かけて、
俺らにとって都会である大分市のライブハウスに行くという冒険を犯してみた。そうそれは間違いなく夏の冒険だった。
俺はただの自意識過剰な童貞だった。
あんときの経験は忘れない。
セックスするまで自殺はやめようと思っていたけど、これはセックスより気持ちいいんじゃないのかって思ったのだ。
こりゃ死ねない。
世の中にはまだまだとんでもない快楽がある。
このユニコーンというバンドはなんだ!!!
なんでヤル曲、ヤル曲、タイプが違うんだ。おまけに変な曲ばかりなのに、ポップで聴きやすい。
不思議だ。
いいのか?
こんな自由でいいのか?
興奮した。ライブハウスの一番前でぎこちなく踊る俺は女子に負けない熱量でぶつかっていった。
ラバーソウルにボーダーのロングティーシャツの女の子に触れてしまったことに動揺した。俺は思わずぶつかったその子に謝った。
謝ったら向こうも笑顔になった。
よし!これがライブハウスのルールか!俺はライブハウスには外の世界とは違うルールがることを知った。最高だ。
もっと暴れてやれ!
おそらく会場で俺が一番「大迷惑」だったろうと思う。
ユニコーンという5人組はアンコールに再びステージに現れ、そこで徐に洋楽のカバーを始めた。誰の曲か分からず思わず隣にいた子に聞いてみた。その子は他の公演も観てて知っていたらしく、それがレッドツェッペリンというバンドの「ブラックドッグ」という曲と「ロックンロール」という曲だということを教えてくれた。
俺はすぐにレッドツェッペリンのCDが欲しくなった。
後日、バイト代また貯めて買ったツェッペリンのCDの解説は渋谷陽一という男だった。偉そうなことをたくさん書いていた。俺はこの男にも興味をもった。その男が発行した雑誌が欲しくなった。それが「ロッキン・オン」との出会いだ。
「人生は上々だ」ではキーボードの男が派手な衣装を変えて
踊りながら歌っていた。
楽しかった。とても楽しかった。
こんな世界があるのか!
この間抜けな歌詞になぜか感動しまくって涙がとまらなくなった。
いや歌に感動したのかどうか、ただ単にタイトルに感動したのか・・・・いや違う。俺は世界にこんな楽しいことがあるのかっていう事実に、そしてそれを発見できたことに感動したんだ。
部屋で閉じこもっているだけじゃない世界がある。しかもこれには、バンドだけじゃない、見に来ているみんなが必要だ。俺が独りであぁでもないこうでもないって動いても何もできない。みんなが作り上げているような気がした。
そうだそうだ、あん時の俺みたいな茶坊主はいるんだろうか。
あんときの俺のような、女にもてなくて、勉強もたいしてできなくて、運動のセンスもゼロみたいな奴。
童貞でオナニーばっかりやってて、妄想癖があって、負けてばかりの奴。そのくせプライドだけはいっちょ前にもってる小僧。
いるかな?いないかもなぁ、ここは東京だもの。
涙を流しながら前で踊る君!
君にとって俺たちはあの頃の俺が観たユニコーンのようになっているかな?
なってるといいな。
俺は、あの時のユニコーンのように、面白ければなんでもやっていいじゃんって思える人になれるかな。分からないな。
もうダメだって人生に諦観しか抱いてなかった俺に、
まっとうな中学生の遊びを教えてくれた馬鹿な男が、今、俺の前でひたすら踊っている。
そうだ大地がいなきゃ、俺、間違いなく佐伯の団地の上から飛び降りて死んでいたなぁ。
そう考えると痛快だ。何やってるんだってもんだ。大分農業会館にはレピッシュが来たなぁ。あんとき俺、大地と喧嘩してて、行かなかったんだよなぁ。後悔してるなぁ。
もしかしたらこの中にもそんな「ロック」があるから「生」を更新できた奴がいるのかもなぁ。ならば俺と一緒に「ざまぁみろ!」って叫んで欲しいなぁ。
そして、これが終われば皆、そして俺もしばらく「孤独」だけを感じる生活に戻るのだ。
最高だろ。なんて素晴らしいんだ。
この瞬間だけ、俺はそんな立派な「個」を抱いた奴らと、虚構の果てに繋がれているのだ。
ひたすら踊って、汗をかいて、そして喋った。
軽口を喋れば大地が突っ込んでくれる。最高だな。
そして、平成ノブシコブシ、ジャングルポケット、グランジ、チーモンチョウチュウという最高の芸人がお笑いをしっかりとやってくれて、俺らの前でげんき~ずが短いネタやってくれた。
げんき~ずの元気☆たつや。
長い付き合いだ。まさかこんな長い付き合いになるとはなぁ。
2005年大晦日仕事のない俺らに課せられたカウントダウンジャパンのDJのお仕事。大地独りじゃ寂しいってんで、たつやと来八の小林と参加してくれた。その場で「六本木カレーボーイズ」って一番かっこいい街の名前と一番美味い料理の名前たした名前つけて、振り付け考えたのが始まり。
そのステージが終わって俺だけが確信してた、これは絶対新しいエンタ-テイメントになるって。鼻で笑われるようなもんだった(ラフィンノーズじゃん)けど、それでたつやは今の今まで着いてきてくれた。
ここが終着点ではないけど、やっぱり俺らの漫才の前はたつやに芸やって欲しかった。一度だけこの能天気な元気馬鹿と話しこんだことがある。
「あんときDJのバックダンサーで誘われてなかったら辞めるつもりだった」って言ってた。そうだそうだ、そんときこいつピンで芸人やってたんだけど、全然芽が出なくて悩んでいたんだ。それが今や吉本の若手前説王。
やったなぁ。一生懸命やってたら必ず確かなカタルシスが待っている。奥田民生風に言うなら、”俺は知ってるぜ”てなもんだ。
漫才をしてるときもお客さんの疲労はハンパじゃなかったと思う。
そりゃそうだ早い人は会場に20時間前に着いて踊っていたんだから。
でも、いい感じだった。
とても肩の力の抜けたいい漫才が出来たと思う。
最後、大地さんの音頭で3本締めして、楽屋に戻った。
楽屋で作家の佐久間が泣いていた。
ミスを悔しがっていた。俺は笑って頭をなでた。
こいつもよく付き合ってくれたもんだ。
グランジの佐藤と遠山がネタのことで揉めて軽い殴り合いになってて、それでまたゲラゲラ笑った。どうしようもねぇなぁって。
でも最高だった。そう言えば遠山も佐久間もユニコーン大好きだったなぁ。よかった、よかったじゃねぇかよ。相方と軽く喧嘩しても、ミスして泣いても、明日からユニコーン復活だってさ。よかったじゃねかよ。
終わってすぐにチラシを配りに幕張メッセの外の歩道橋にいった。
「DRF4」のチラシを配っていると、お客さんから沢山のありがたい感想、
メッセージをいただいた。
とても嬉しいことだ。本当に震えるくらい嬉しかった。
ポケットに手をつっこんだまま、こちらを見向きもしない奴もいた。
いい、それでいい。とてもいい。いつか繋がれたらいいなって思うだけだ。
俺が強制的に手をあげさせるのがうるさいという音楽ファンもいる。
関係ない。
俺はあげない奴にあげないって分かってて、それでもあげてもらうために懇願したい、ただそれだけのためにやっているんだ。
俺にはゆっくり音楽を楽しんでくださいなんていう気持ちはさらさらない、
少なくとも自分のDJの時間だけは。
アクが強くて強制的だ。それでいい。
でも、でも、とてもとても、みんなと繋がりたいんだ。
この場だけは、俺も君も独りじゃないんだぜってことがいいたいだけなのだ。
笑って、汗かいて、酔っ払って、大声だして。
本当、それだけなんだ。
あの時、ユニコーンのライブに初めて行ったとき、俺はなぜだかそう思ったのだ。
俺は独りではないんだと。
そしてやっぱり独りだっていうことを確認する毎日を送るのだ。
矛盾?
いや全て矛盾だ。
ロックなんて矛盾の産物だからこそ、一生離れられないんだ。
「芸」ってのは嘘モンだからこそ夢中になったらやめられないんだ。
魔物が現れるからさ。談誌師匠が言ってた(笑)
外の空気の冷たさがとんでもなく心地よかった。
外を見ていると、ユニコーン再結成を知らせるサンドイッチマン達がいた。
空を見上げるとプラネタリウムみたいな満天の星だ。
暗がりを目で追いながら、ぼんやりと、あの新宿駅で見かけた
おっさんを急に思い出した。
いいハゲっぷりだった。
面白かったなぁ。
あのおっさん、生きているといいな、
心の底からそう思って、また俺は肩いからせ笑った。
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