THE WHO来日公演コラム
昨年の暮れに書いた原稿です。
この公演にキヨシローさんとヒロトもいたんだよなぁ。
なんか行って本当によかったなぁって。
「11月19日日本武道館、僕はTHE WHOを観た」
平均年齢80歳以上のロックコーラスグループの一年に一回のコンサートの経緯に密着したドキュメンタリー映画「ヤング@ハート」が評判だ。初代メンバーは全て他界してることからも分かるように、このコーラスグループは常に死と隣り合わせで、実際このドキュメンタリーの中でも二人の老人が亡くなる。白眉はメンバーの一人が死んだ直後にある刑務所の慰問ライブでメンバーが受刑者たちにボブディランの「フォーエバーヤング」を歌うシーン。この歌はそもそもディランが幼い息子にずっと若いままでいますようにという願いを込めた歌なのに、それが死を目前にした老人が切実に願いを込め、絶望をもちながら生を更新し続ける受刑者が聴き手になることでまったく違う新しい意味になるのだ。
ロックンロールのマジックってこういうことだと思う。
価値感がそれぞれの立場で変化して(ロール)していく。
最高じゃねぇかな。
一曲目にプレイされた「I CAN‘T EXPLAIN(説明できない)」が鳴った瞬間、身体中に電気が走って、涙がボロボロ流れた。
11月19日その日、僕は正真正銘THE WHOを日本で観たんだ。
それはまるで魔法のような瞬間だった。
あっという間の2時間だった。
「日本になんかロックはない」と言い放ったピートタウンゼントは、最後にピックを撒きながら「俺は円を配っているんだ!」とブリティッシュジョーク(?)をかましながら、上機嫌にステージを降りた。閉塞感ただようイギリスの若者のためだけにギターを破壊し続けた男は、2004年初めて来日したときのようにギターを折るというサービス(そうもうそれはサービスなんだ)はしなかったけど、僕は十分満足だった。
足がガクガク、心が震えてた。
宗教する奴はクソだって言っときながら、次の作品でインドの思想家にかぶれたりするピート、でかい鼻のコンプレックスを吹き飛ばすためににあらあらしくギターアクションを繰り広げるピート、イギリスのキッズのために嫌がるメンバーを説得しアメリカツアーへ行かせたピート。俺はそんな面白くて、グッとくるピートタウンゼントが好きだった。
そのインドの思想家をモチーフに作った「ババ・オライリー」が流れたときのあの瞬間、あのときの気持ちを言葉にできない。
あの思想家の名前を記号でいれてつくったと言われるチープなシンセの音が鳴ったとき、俺はとにかくどうしていいか分からなくなった。
歌詞にある「報われない10代(ティーエイジウエストランド)」というフレーズとビートたけしがラジオで言ってくれた「人生に期待するな」ってのが、あのころの自分にとってどれだけでかい言葉だったか。10代のころ、クソ田舎の母子家庭で水商売の団地住まいで鬱病にかかった僕には友達もコネもなかったけど、自分がやりたいようにやればいいんだって聞こえた。やっちまえよ。所詮一回きりの人生じゃねぇか。少なくとも俺にはそういう風に聞こえた。夢は叶うとか、一人じゃないさとか、先生の説教みたいなニューミュージックの定番フレーズはいらねぇ。俺には何より「自由」がある。きつくて過酷だけど自由だ。砂漠に一人、さぁ、どっちに行こうか?もしも明日死ぬとしても、そんな浪漫にあふれていたなら成功しなくても誰かが語りついでくれるだろう。大事なことは「自分」を生きるってことだ。こっから先は「俺の時代」だ。
そう解釈した。勝手にした。そう解釈することで命を更新できた。
その曲を、俺は生で聴いていた。マジかよ。10代の俺に自慢してやりたいぜ。「老いさらばえる前死んじまいたい」というのは、“早く死ね”という意味じゃない。今を生きろってことだ。今を生き続けて出し尽くしながら生きろってことさ。死んでるみたいに生きるなら、いっそ死ねってことだ。まぁそんなもんあの武道館に集まった明らかに36歳の俺より年上のイカしたオーディエンスは分かっていただろが。俺はそういう風に解釈できるように生きてきたはずさ。
帰り道、ポケットに手を突っ込んで九段下を歩いた。手が汗で濡れていた。
今度来日したらギター壊してくれるかな。永遠の若者=フォーエバーヤングである俺たちに、あの時のキッズに大丈夫なんだぜって言うためにギター壊してくれたあの時のようにギター、壊してくれるかな。
それまで死ねないな。
あぁ、分かった。俺がずっと感じていたこの気持ち。
これを言うんだ、
“説明できない”って。




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