なぜ私がDrugをやらないのか
スポーツ新聞読んでいると、いつも法廷ものの記事に板倉宏・日大名誉教授という方のコメントが掲載される。
かなりの確立で板倉教授なのだ。
私はいつも板倉教授の名前を見るとイメージでインパルスの板倉がコントで老け役をやるときの顔を思いうかべてしまう。
どーでもいいですが(笑)
なぜ私は薬物に手をださないのだろう。タレントらしくイメージの問題やそもそも法律が、なんてもっともらしいが、それでもやるやつはやるのだ。
例えば私はミュージシャンが薬物をやることに対し別に反対でない。でなければいい作品ができないならそれでいいと思う。つうか勝手にやればいいと思う。そういう人たちは結局矢沢永吉のようにDrugもしない、体調管理をし、矢面に立ち、ストイックにものづくりする人のフリになればいい位に思っている。Drugがなきゃストーンローゼズとか数多の優れたバンドが普及しなかったことも確かなのだ。
だから音楽家はそれでいい。
なんなら役者も薬で狂気が生めるならやればいいと思う。
但しお笑いだけは違うと思う。
お笑いには空気間を読む作業や常識から非常識へ飛躍したりすることが大事で、それには人並み以上の「普通」が必要不可欠なのだ。
やすきよ師匠を現役で観てきた人は口を揃えてやすし師匠よりきよし師匠の狂気に触れる。
政治をやっていた師匠は一見まともだが、芸に関して絶妙なバランスで自分と相方の狂気との距離感をはかっていたのだろう。
つまりだ、優れた芸人は醒めた批評体質とDrugなんかよりももっともっと狂った脳内物質を作りあげる才能が必要なのだろう。
薬を使って瞬間的に異常を装おっても、それを批評する冷静な視点がなきゃ笑いは起きづらい。
だから面白いのだ。
狂気を狂気として垂れながすだけでは笑えないし、うけない。
その難しさが面白いのだ。
きちがいのフリじゃ三流なのだ。
未来に絶望を感じたときに髪の毛を白くするより、ネタ作りで煮詰まり白髪を増やすほうがずっとずっと面白くて楽しい人生だと僕は思う。
Drugくって、みんな友達みたいな空気で音楽を体感するってのより、ずっと刺激的な世界だと思っている。
フロアが盛り上がり一つになるのも大好き。ただそれだって人力で考えてそういう風にもっていく過程があってはじめて楽しいもんになる。 あくまで俺はね。
それにせっかく面白いネタつくってもどれもが薬のおかげと言われることほどしゃくなことはない。
だからDrugはやらない。いらない。誘われてもしない。
背負ってもいるしね。家族やスタッフね。勝手なことができないってなかなかいいですよ。
押尾は家族を省みなかった、それがあいつのロックでしょ。
俺は何かを背負ったり、しがみついたりしながらも楽しいことやるのがロックだと思っているからね。
一人暮らしのときならバイト休む感じで舞台とかも休んでしまうかもなぁって思う。
今は行かないと駄目だもの。
めし食えないもの。 わずらわしいとか思わない。理由になってくれてありがとうさんだよ。
そうそうそれだ。
単純に金がねーだけ。暇がねーだけ。
毎日必死だと必要ねー。
なんじゃそれ。




最近のコメント