もしも
こんなメールをいただいた。
毎回ブログの記事を興味深く読ませて頂いてます。 僕は今、17歳の高校一年生です。(何で17で高一かって言うと、転校して1年ダブったか らです) 今回いじめや自殺についての記事を読んで、初めてメールさせて頂きます。 僕は見た目ではわからない、親にも説明しにくい障がいを持っていて、学校で友人を作る のも躊躇ってきましたし家にも居づらくて何度もひとりで遠くへ行ってしまおうかと思っ てきました。(その遠くには死の世界も入ってるかも知れません) ただそれでも自分が大人になるまで、自立するまでの我慢だと思って来たんです。 初めてのメールで失礼かと思ったのですが、どうしても大谷さんに聞きたいことがありま す。 もし、ビバ彦くんが何かしらの障がいを持って生まれてきていても、変わらず感動出来た と思いますか? もし生まれながらではわからない、少年・青年期に障がいを告げられても我が子として支 えられますか? 僕は障がいを哀れと思ったり人と違う特別なことと思うのが大嫌いなのですが、今の社会 ではどうしてもそう見られてしまいます。 ましてや精神や脳の障がいと言われれば恥を感じる人もいるほどです。 そして浮いた存在として見られもします。 自分は居てはいけないのではと思い込んでしまうこともあります。 そんな中で、僕は毎回感動させられる文を書いてくれる大谷さんがどう思うのか聞いてみ たいと思いました。 息子さんの名前を出したりして卑怯とは思いましたが、是非率直な意見を聞かせてくださ い。 それでは失礼します。
実は子供ができたとき、やったという感情と、すぐに現実に戻って、あれっ?
大丈夫か?っていう不安な感情の板ばさみの毎日になりました。
周りの助言や嫁っ子の存在に助けられ、よっしゃやったるかってなってから最初にお話
した内容がこれでした。
「生まれてくる子に障害があったらどうするか?」
現在の医学では妊娠中に我が子が障害を持っているのか検査を希望すればできるのです。
もうね即答よ。
絶対産もうと。
まずね、僕はもちろん父親である自分がやらなきゃって気持ちも強いけど、
どっかで子供っていう存在に頼ってもいるんです。
僕は父親っていうもんに子供から指名されたんだと。
こいつが親父がいいんだと、子供が思ったから宿ってくれたんだと。
何か確信があったんだと。
なら困ったら子供がきっと助けてくれるじゃないかって。
だらしないよねぇ。本当頼りないけど、こういう気持ちあるんですよ正直。
だから子供と俺は対等だと。それは障害云々では変わらないぞと。
もちろん偽善やとか綺麗ごとやという反論もあるでしょうね。
実際当事者やないから言えるんだとか言われることでしょ。
でもね、僕思うんです。人間の平均寿命が70やとして、
70より先に死ぬのは不幸かもしれないけど、
その生きていた期間、どんだけ生を全うし、
自分ができる範囲の中で自分の人生を悔いのないように生きて
きたもんと、
最後まで不平不満を言いながら、
自分のサイズにあってない人生を無理して過ごしてきたやつとなら
どっちがいいんだろうかと?
そんなもん前者に決まってないかい?
だったら幸せか不幸せかをそこだけで決めるのってどうなんでしょうか?
僕、小さいころいつもなんで僕だけって思ってましたよ。
お金なかったり、父親小学校のとき刑務所はいっていたときとか、苗字変わっていじめられたりね、
母さん水商売やっててよくからかわれて。
死んじまうとか、自分が不幸だと思うのは普通じゃん。
つまんなかったんだよ、そういうの。
これはね、俺に才能があるから神様が最初こういう差をつけたんだなぁって思うようにしましたよ、
まぁそれも相当強がりで、ただの魔法みたいなね。一日一日生きることに必死だったんだよね。
でも絶対世の中に出るっていう夢があったからね。
夢だって・・・俺は昔の深夜のラジオDJかっつうの。
たださ、なんかこのままじゃ嫌だったんだよね。
それにハンディキャップって多かれ少なかれ、
人それぞれにあるもんじゃないですか?
身体的なもの、精神的なもの、もちろん社会的な差別的な視点考えたら、
こんなもん偽善的な発言やと思いますよ。
でもね、こうも思うのよ。
それのどこが悪いのよ?
自分のできる範囲で誰にも邪魔されんと、
自分自身で悔いない人生を送る美しさを
非難されようが、
外野のバカに何言われようが、
俺は俺やと思う人間、俺は素直に好きですよ。
それの何がいけんの?
それの何がおかしいの?
もしもそういう子が産まれたら、そういう子として
自分の人生を受け入れながら優しい子になってほしいと
思いましたよ。
そしてそのつらさをもしも俺ら両親が共有でき、
それによってやわらぐならいくらでもくれと思いましたよ。
覚悟とかそういう大げさなもんじゃなくて、それがしんどいことだとしても
それ以上のもんを子供はくれるんですよきっと。
じゃなきゃ、うちの母ちゃんとっくの昔に俺のこと見捨ててるはずですよ。
いやね、俺はそんなに理路整然と生きてきた男じゃないよ、
間違ったこともたくさんしたし、他人を傷つけたこともたくさんあるし、
でも命が誕生するってときにやっぱり胸張りたいなと、
誇りに思ってるんだと、自分の子供をね。
そして何より、そんな出産という人生の大舞台を経た人たちに共感し、
連帯的な共鳴をしたんです。もちろん障害をもって産まれてきた子を
もつご両親の方々もそうですよ。
僕と同じように親なんですよ、その日から僕にとっては仲間なんすよ。
楽屋で親同士の芸人で喋るじゃないですか?
実にみんないい顔しとる。
昨日まであんまり楽屋で喋らなかった僕がその人と「父親」っていうキーワードでコミュニティ作れてる
んです。素晴らしいことだと思う。
君に障害があるという。
僕にも寒い季節や突然雨が降ると足が痛むという神経痛があるんです。
3歳のときに車ではねられてからそのショックで、今も残る傷です。
君の程度が分からないですが、僕にとっては君はそういうものを抱えた人と一緒です。
もちろん車椅子が必要だったらそういうトイレやエスカレーターは必要。(これは区別というやつです)
でも、あとは一緒だ。同じ人間だ。でもそう言い切るために勉強も大事だと思う(障害者をことさらかわいそうに
演出するテレビは大嫌いです、いい奴も悪い奴もいるでしょ?絶対)。
世界にはいろんな人がいる。
心の形にもいろんな形がある。
心が傷ついて変形してる人だっているでしょう。
だから優しくなりたい。優しくなってる自分を悟られない、そんな何気ない優しさで
みんなと接したいです。ときどき冗談もいいながらね。
だって、俺も君もこれを読んでる人もみんな同じ生き物、
人間というものではないか。
(あれれ結局人間性善説になってしまいますね、前と言ってること違うな)
なんでこんなこと書くのにいろんな犯罪にあんなに目くじらたてるんだろうか?
俺。



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